ある日、ふと「これはおかしい」と気づいて
ともに正社員として働き、自分のほうが仕事での拘束時間が長いというミチヨさん(44歳)。つきあいの長い同い年の夫とは妊娠を機に結婚、14歳と10歳の子がいる。「子どもがふたりになったとき、私の母が同居してくれたんですが、5年前に亡くなりました。私も母に甘えていたけど、夫はもっと甘えていましたね。あのころ夫は家事にはいっさい手を出さなかった。母が亡くなって、私は自分がやらなくてはと意識を変えたけど、夫の意識が変わることはなかった」
母が亡くなったとき、子どもは9歳と5歳。下の子を保育園に連れていって出社、夫は定時で帰れるはずなのにめったに迎えに行ってくれない。ミチヨさんは延長保育ぎりぎりのところで迎えに行く。上の子は同じマンション内の友人宅に預かってもらっていた。
「7時を過ぎそうなときは夫にギャーギャー言って保育園に行ってもらって、友人宅から上の子を引き取ってくるよう指示していました。夫は子どもたちに菓子パンなどを与えて私が帰るのを待っている。私は帰宅すると着替えもそこそこに食事の支度。一度も座ることなく、子どもたちに食事をとらせてお風呂に入れて、上の子の学校の準備を確認しながら下の子に絵本を読み聞かせて、というような日常を過ごしていました。夫はその間、ゲームをしているかテレビを観ているか。私はキッチンで立ったまま食事をするか、子どもたちが寝てから食べるか。食べながら寝落ちしたこともあります」
修羅場のような生活の中で、夫はときどき、「言ってくれればやるよ」と言うが、下の子の寝かしつけひとつできない。子どもの声が聞こえるので見に行くと、子どもは起きていて夫が寝ているのだ。
自分がやったほうが早い、夫にイライラしている時間がもったいない。そう思って何でも自分で抱え込んでしまっていた。そんな生活が長く続くはずはない。
2年たらずでミチヨさんは過労のため倒れて入院を余儀なくされた。
「指示待ち」スタンスを崩さない夫
「そのときは遠方から夫の姉が駆けつけてくれましたが、いつまでもいてはくれない。義姉は自分の弟のことを『あいつ、鍛え直さないとダメだね』とつぶやいていました。私が甘やかしたんでしょうねと言ったら、『そんなこと言っていたらダメ、今からでも遅くないからがんばって』と励まされました」さすがに妻の入院は堪えたのだろう。退院してくると少しは手伝うようになったが、あくまでも「指示されたら手伝う」というスタンスは変わらない。
そうこうしているうちにミチヨさんは突発性難聴を患ってしまう。ストレスである。夫には何度もSOSを出した。それでも夫は受け止めてはくれなかった。
「早くに治療したのでかなりよくなりましたが、今でも右の耳が聞こえづらいときはありますね。でもそれをきっかけに、子どものこと以外は何もかもバカバカしくなってしまったんです。まずは夫と私のお弁当を作るのをやめました。夫は不満そうでしたが、食べたいなら自分で作ってと。洗濯物も数日に一度、掃除なんて週に一度、それでいいや、と」
最低限、子どもたちの健康に関わることだけはするが、それ以外はすべて後回しにすることにしたのだ。しばらくたって、夫が「最近、家の中が汚くない?」と言い出した。その言葉が彼女の怒りのスイッチを押した。
「いいかげんにしろよ、と思わずつぶやいてしまいました。ふだん、そんな言葉遣いはしないので夫はギョッとした顔をしていましたね。『この数年間、すべての家事育児をやってきたのは誰だと思ってんだよ。あんたは全部私に押しつけて楽してきたんだろ。汚いと思っているなら自分で掃除しろ』と汚い言葉で罵った。心が限界だったんだと思います」
夫は恐怖にひきつったような表情で出て行ってしまった。彼女はその背中に夫が飲んでそのまま置いてあったビールの缶をぶつけた。少し残っていたビールが飛び散ったが拭き掃除もせずに、倒れ込むように寝てしまったという。
「目を覚ますと土曜の早朝でした。金曜の夜にケンカして、そのまま朝まで眠っていたみたい。昨夜は後片付けもしなかったとキッチンに行くと、きれいになっていました。夫がやってくれたみたい。夫はリビングのソファで寝ていたので、毛布を持ってきてかけたんです。すると夫が目を覚まして『大丈夫?』って。そこからですよ、ようやく夫が本気で向き合ってくれるようになったのは」
妻が過労で倒れ、突発性難聴に苦しんで初めて、夫はこのままではいけないと思ったようだ。
結婚当初から家事を分担していれば夫も慣れたかもしれないが、ミチヨさんたちの場合、妊娠を機に結婚したこともあり、家庭をどうやって運営、維持していくかについてなかなか話し合うことができなかったという事情もある。
「夫は冷たいわけではないんです。ただ、私が体調を崩したりすると、どうしていいかわからなくて、ただおろおろしてしまう。父親であるという認識も薄かったんでしょうね」
あれから2年、「何すればいい?」といまだに聞いてはくるが、夫も家事にはだいぶ慣れた様子だ。子どもたちも、いつまでも子どもではない。上の子などはすでに夫より料理上手になっている。
「子どもの成長に救われたようなものです。親はなかなか成長しないけど」
ミチヨさんはそう言って苦笑した。あのころの荒んだ気持ちがときどき蘇ってくることもあるが、夫を責めてもどうにもならない。なんとか前を向いて家族で歩いていきたいとまじめな口調で言った。