若者が成長を拒む理由は、「他人から利用されたくない」からか
出世したくないということと同時に、一部の若者たちの間に「成長に興味がない」という考え方がある。これは言葉通り取っていいものか、ベテラン世代から見れば若者のこうした独特な心理を読み解くのは難易度が高い。人と違うことへの恐怖なのか、同化させられることへの抵抗か、ただ目立ちたくないだけなのか、それとも変化そのものを恐れているのか、負担が増えることが嫌なのか。筆者が考えるには、若者が成長することを拒む理由のひとつは、「他人から利用されたくない」という意思表示ではないかということだ。社会人経験が長い中高年世代から見れば「何を甘えたことを言っているのか」「やる気がないのか」と一笑に付してしまいかねない。人間は成長できる時に成長するものであって、成長しなくなったステージ、つまり老いは止めることがなかなか難しいことを実感しているがゆえに、まだ成長できる時期に「成長したくない」「現状維持のままでいい」と若者が考えることに理解を示しにくいのである。
ただし、物質的にはほとんど必要なものは身の回りにある豊かな時代に生まれた若い世代である。日本では今後人口が減り続ける未来が示されており、経済成長も20年以上停滞し、同様に収入も先進国では日本だけがずっと増えていないという事実に直面している。それにもかかわらず、「成長しなさい」といわれても、それが自分の明るい未来につながる道だとは必ずしも実感できないのかもしれない。
無理に成長しなくてもいいが「成熟する」道を探ってはどうか
成長はプラス、停滞はマイナスという評価軸とは異なる道を模索する若者の存在にも注目が集まるようになって久しい。たとえば、「ミニマリスト」「シンプリスト」というライフスタイルである。持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人を指した言葉だが、自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方である。大量生産・大量消費で成長してきた社会とは逆を行くような、新しく生まれたライフスタイル。若者世代は、さらにこれに「ゆる」という言葉を加え、「ゆるミニマリスト」「ゆるシンプリスト」といって、部分的に、もしくはものによって、「ゆるく」自分のライフスタイルにこの発想を取り込んでいる。昔の時代で言えば、一点豪華主義という逆の発想があったが、現代では、食べ物にはあまりこだわらない、着るものにはあまりお金をかけないというように、自分流の切り取りをするのである。
日本の若者世代は、成長しない日本社会の中で自分たちの新しい生き方を模索しつつ、そのひとつとして「出世したくない」「成長したくない」という考え方や価値観にたどり着いているのかもしれない。一見、それは社会を衰退させるようなネガティブな考え方だと嘆くこともできるが、中高年や高齢者世代は、そのように一方的に決めつけることは避けなければならないだろう。社会がより多様化していくプロセスのひとつであるとみて、若者に支援の手を差し伸べる方向で、この現象と向き合っていくのはどうだろうか。
いま、世代を超えて考えなければならないことは、低成長時代の中で「成熟した社会」を築くことではないか。「成熟」の本来の意味は、動物では生殖機能を備えることであり、植物の場合は花をつけ実を結びうる状態になることである。一方、情勢や機運などが最も適当な時期、あるいは充実した時期に達することも意味している。
IT技術や医療技術、その他さまざまな事柄において、人間の英知を集めて歴史上過去にないほど豊かな生活環境が完成しつつある。過去のように成長することへの同調圧力を若者世代に強いることよりも、どのようにこの瞬間の恵みに満足し、ともに協力して持続可能で他者に寛容な社会を築いていくか、その実現に向けて、さらなる議論を重ねていきたいものだ。
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