「こっちだって生活が苦しいから働かなくてはいけない。年金だって思うようにもらえるわけではない」(キョウコさん・62歳)という時代なのだから。
息子一家が近くに越してきた
そのキョウコさんは、27歳でサラリーマンの男性と職場結婚し、29歳で長男を、32歳で長女を出産。以後はパートとして家計を助けながら家事育児をひとりでこなした。「あのころは男も家事をやるなんて風潮がなかったし。うちの夫は特にひどかったですよ。縦のものを横にもしない。家計は私に丸投げだったから、なんとかやりくりしてふたりの子を大学まで出しました」
3歳年上の夫は定年後に大病をして、2年間、入退院を繰り返して亡くなった。定年になったら離婚してやろうと思ったこともあったが、そんな時間もなかった。
「考えてみれば働きづめだったんですよね、夫も。定年後は好きなテニスをしたい、昔打ち込んだ将棋ももう一度やりたいとよく言っていたけど、まったく楽しまないまま逝ってしまった」
大卒後、大手企業に就職していた長男が、そのタイミングで結婚。「喪に服すという感覚がないのかね」と皮肉を言ったら、相手の女性はすでに妊娠7カ月だったという。
「まあ、生きている人のほうが大事だからしかたがない。とりあえず婚姻届だけ出したようです。新居をうちの近くにしたいというから、やめてほしいと言ったんですよ。私だってパートを続けなければいけないし、あなたたちのめんどうは見られない、と。独立して独身で働いている娘にも『必要以上に手伝っちゃダメよ。おかあさんが倒れるよ』と言われていましたから」
ところが息子は、徒歩5分の賃貸マンションに越してきた。
疲弊して入院
近くに来られたら手伝わないわけにもいかない。初めての子を産む不安もあるだろうとキョウコさんは息子の家にせっせと通った。「悪口は言いたくないけど、息子の妻のセイコさん、『料理は苦手なんですよね』と言うんです。部屋は散らかり放題、洗濯物も畳んでいない。苦手なのは料理だけじゃないでしょって感じでしたね。彼女は仕事をしていましたから、パートが終わるとマンションに行って料理をして私は自宅に帰るという生活でした」
子どもが生まれてからは、毎日のように出向いて家事をした。「手伝うという範疇じゃない、私に丸投げ」だったそう。
「しかも彼女、産休だけで職場復帰すると言い出した。育休くらいとればいいのに。どうやら子どものめんどうを見たくないから職場復帰を急いだみたい。娘が『いいかげんにして』と息子に言ってくれたんですが、実は息子もセイコさんの身勝手さに呆れていたようで……」
とはいえ息子に離婚の意志はなく、結局、キョウコさんはパートを辞めて子どものめんどうを見る羽目になってしまった。
「保育園があいてなくて、とセイコさんはすまなそうに言うんですが、あと数カ月休めないのと聞いたら、『夫の収入だけではどうにもならなくて。あ、すみません、お義母さんにこんなこと言って』って。なんとも狡猾な子なんですよ(笑)」
ただ、今さらの子育ては心身ともに厳しかった。あげく、キョウコさんは息子の自宅の家事までほとんどやらざるを得なかったのだ。食費もキョウコさんの持ち出しだった。
「息子が、いっそ同居したほうがいいんじゃないかなと言い出したんですが、娘は大反対。これ以上、おかあさんをこき使わないでと息子に直談判してくれました。『お父さんを見送って、これからようやくお母さんの青春が始まるんだから、好きに生きさせてあげて』と。食費が私の持ち出しだと知って、さすがに息子もばつが悪そうでした。セイコさんは知らん顔していましたが。それを見て、私もこのままじゃかえって息子夫婦のためにならないと思うようになりました」
それでもしばらくそんな生活が続いたが、がんばりすぎたキョウコさんはとうとう過労で倒れ、娘は兄夫婦に怒鳴り込んだ。
「『いいかげんにして。母親を殺す気か』とすごんだそうです。私がしっかりしないからいけなかった。もうあなたたちの世話はしないからと、私も息子に言いました。それきりセイコさんからはまったく連絡がなくなりました。どうやら息子の会社の借り上げ住宅に入ったようなので、ホッとしています」
その後、すっかり元気になってパートを再開したキョウコさん、「娘に迷惑をかけないよう」ジムに通って体を鍛えているという。地域の陶芸教室に通い、パート仲間と温泉に行ったりもしている。
「息子がかわいい、孫がかわいいから、つい助けてしまう。でもそれは息子夫婦のためにはならない。うちはこのまま親子の縁が切れてしまいそうですが、それもしかたがないのかなと諦めています」
夫の死から怒濤の数年間を送ってきたキョウコさん、ようやく自分のペースで生活できるようになったと笑顔を見せた。