田邊公己前社長の略歴と人物像
田邊前社長がゼンショー(現ゼンショーHD)に入社したのは1998年のこと。ゼンショー経営改革室ゼネラルマネージャーなどを経て、2014年に、はま寿司の取締役に抜擢されている。はま寿司時代には「平日寿司一皿90円キャンペーン」の安売り路線で急成長させた立役者の一人としての功績が認められ、2017年にジョリーパスタ社長、2018年にココスジャパン社長を歴任。ゼンショーHDを退職する直前には北米等でテイクアウトの寿司を展開する子会社の担当幹部を務めていた。これだけの経歴を見れば外食のやり手経営者、という側面がうかがえるが、問題はココスジャパン社長に就任後、1年で退任し、海外寿司事業の担当幹部へと事実上の降格人事があったことである。ココスジャパン時代は業績悪化に歯止めをかけることができず、株価も30%ほど下落。営業利益率も業界平均の半分にも満たない1.4%と深刻な事態に陥っていたのだ。
かっぱ寿司の沿革
続いて、かっぱ寿司の現在に至るまでの業績を振り返ってみたい。かっぱ寿司が業界内で抜け出し始めたのが1999年のこと。それまで50席程度が普通だった店舗を一気に拡大し、120席もの大型店舗を郊外に出店。それまで少数派だったニューファミリーをターゲットに店舗を拡大していく。そして、2005年に特急レーンを導入したことで人気が爆発。当時、大手回転寿司チェーンで特急レーンを導入しているのはかっぱ寿司のみ。さらに頻繁に流れるテレビCMの効果もあってか、子どもが行きたい店のトップを独走していたのだ。ところがである。その裏ではかっぱ寿司の凋落がすでに始まっていたのだ。2005年度に16億円の最終赤字に転落すると、2007年には、かっぱ寿司創業家は保有する全株式(発行済株式の約30%)をゼンショーに売却してしまったのである。しかしこれが現場サイドの猛反発を招くことになる。ゼンショーは同時期にスシローの株も取得しており、2社の統合で業界トップに立つことを目論んでいたが、結局、1年で創業家が株を買い戻すことになったのだ。この時からかっぱ寿司の迷走が始まったと言っても良いだろう。
そして、2009年、スシローが創立25周年を期に「第二の創業期」を打ち出し、ブランディング戦略で知名度を上げていったことで、業界の状況が一変することになる。それまで「安く寿司が食べられる場所」に過ぎなかった回転寿司店を、「おいしい寿司が食べられる場所」としてブランディングをしていったスシローがメキメキと頭角を現していくのだ。
この時、スシローが取った戦略が「原価率50%」というインパクト抜群のコピー。外食では原価率30%が当たり前の中、このコピーは世間の注目を集めることとなり、スシローは“回転寿司でもおいしい”という評価を得ていくことになった。
また、くら寿司もアニメとのコラボやビッくらポン!などエンタメ路線で躍進していく。この時、スシロー、くら寿司の原価率は50%前後なのに対し、かっぱ寿司は38%。その後も、かっぱ寿司はどんどんと業績を下げ、2010年、ついにスシローに業界トップの座を明け渡すことになり、2014年には71億円の最終赤字を出すまでに至った。自主再建が厳しい状況の中、日本最大の米卸商「神明」が元気寿司との統合を見据えて創業家から株を取得するも、これまたうまくいかず、そこに目をつけたコロワイドが2014年にかっぱ寿司を買収し、傘下に加えたのだ。
コロワイドといえばM&A戦略による企業再生で成長してきた企業である。当時のかっぱ寿司は買収するメリットよりもリスクの方がはるかに大きいと言われていたのだが、それでもコロワイドの力をもってすれば再生できる自信があったのだろう。その秘密兵器が『回らない回転寿司』がコンセプトの都市型新業態「鮨ノ場」だった。
買収以前にかっぱ寿司の社長を務めていた山下昌三氏(その後、京樽の社長に就任)を副社長に迎え、青山の246号線沿いに2015年、大々的に開業。タッチパネルによるフルオーダー制とアルコールやサイドメニューもコロワイドグループの強みを生かして充実させているところがセールスポイントであった。
計画では2019年までに100店舗を都心部繁華街へ出店予定であったが、これが見事に大コケする。原宿、渋谷、浅草といった一等地に出店したのだが、いずれも2年ももたずに閉店。まさかの失敗によってコロワイドのかっぱ寿司再生計画が大きく狂ってしまったのだ。
新ブランドの挫折によって、既存店舗に注力するしか道がなくなってしまったが、4大回転寿司チェーンの中で一人負けの状態が延々と続くことになる。2017年には58億円もの大赤字を叩き出し、その後、結果的には、7年間で5人の社長を変えるに至っている。
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