毎月最終日は「月末はファンタの日」
ファンタといえば、コカ・コーラ社の果実フレーバー炭酸飲料というのは、みなさんご存じだと思いますが、毎月最終日は『ファンタの日』って知っていました?
月末限定のキャンペーンが開催されており、期間中にファンタ公式Twitterアカウント(@Fanta_Japan)をフォローして、指定のハッシュタグ(#月末はファンタの日)を付けて、その月のお題に答えると、 抽選でファンタの購入に使えるCoke ONドリンクチケットがもらえるそうです。
ファンタ自体は、筆者が子どもの頃から当たり前のように販売されていて、普通に飲んでいたソフトドリンクですが、日本発売から60年以上が経ち、ファンタのイメージも昔とは大きく変化しているのではないかと思います。
そこで今回は、ファンタの歴史と日本における商品の特徴をたどってみたいと思います。
当初はコカ・コーラの代替品
ファンタの発祥はドイツです。第二次世界大戦の勃発により、アメリカからコーラ原液の輸入ができなくなったドイツのコカ・コーラ社で、1940年にコカ・コーラの代替品として誕生しました。
第二次世界大戦後、1955年にイタリアのボトラーで、ファンタの名を冠したオレンジフレーバーの炭酸飲料が発売されました。これが現在のファンタオレンジに続きます。
日本では1958年に発売されました。当初は瓶入りのみで、フレーバーはオレンジ、グレープ、クラブソーダ(炭酸水)の3種類でした(現在、炭酸水はカナダドライブランドで販売)。
■缶入りファンタ(オレンジ・グレープ)
ファンタというとオレンジかグレープというイメージがありますよね。残念ながら、初代の缶を筆者は所持しておらず、これは2代目のデザインになります。
■缶入りファンタ(レモン・アップル)
1974年になり、レモンとアップルの2種類のフレーバーが追加されました。
当時、筆者の住む新潟ではアップル味は販売されていましたが、レモン味は販売されていませんでした。高校に入った1977年、バスケット部に在籍していた同級生が山梨合宿に行き、「山梨にはファンタレモンがある!」という話を聞きました。筆者の心の中にこの話が残っていたのが、後年ドリンク缶蒐集を始めたきっかけのひとつとなっています。
1975年には合成着色料の問題でファンタグレープが販売中止になり、代わりに着色料を変更したゴールデングレープが発売されました。
また、1980年代のファンタのCMでは、アイドル歌手の柏原よしえ(現在は柏原芳恵)さんが出演し、ファンタにビタミンCが配合されたことをアピールしていました。CM起用タレントからして、青少年向けのソフトドリンクというのは明らかです。
地域限定ファンタ、百花繚乱の時代
1980年後半になると、さまざまなフレーバーが地域限定で登場します。
当時、コカ・コーラは地域ごとに17のボトラー(北海道・みちのく・仙台・利根・三国・東京・富士・長野・北陸・中京・三笠・近畿・山陽・四国・南九州・北九州・沖縄)に分かれており、各ボトラーで販売する商品はボトラーの持つ工場で製造するという『地域主義』をとっていました。
これは地域の経済や雇用に貢献するためといわれています。販売商品も地域の嗜好に合った商品が販売されていました。
写真のストロベリーとパインアップルは、1988年夏に、京都の伏見稲荷境内にあった自販機で購入したものです。当時、東京で仕事をしていましたが、東京ではこの2フレーバーが販売されていなかったので、京都で購入した次第です(ストロベリー味は1973年にペプシのミリンダで販売しているので、目新しかったわけではないのですが)。
毎年、春に新フレーバーが登場する時代
1991年春発売の青りんご味より数年間は、毎年春に新フレーバーが全国統一で発売されることになりました。地域限定品が多かったコカ・コーラ製品ですが、この頃から全国どこでも同じ商品を販売するようになっていきます。
CMにミッキーマウスが登場したことから考えると、ターゲット年齢層は青少年から若干下がったのではないかと思います。
>続いて2000年以降のファンタをご紹介!