人間関係

私に黙って母の家を乗っ取った?貯金はどこへ?「老いた母」の介護をめぐり、姉妹骨肉の争い

久しぶりに訪れた実家の様子が“ヘン”だった……。電話越しには感じ取れなかった母の“老い”をきっかけに、姉妹骨肉の争いを経験した女性に話を聞いた。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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親の介護問題できょうだいが揉める話はよく聞く。

事業を通じて社会課題を解決するLIFULLが公開した設立25周年特別企画「ソーシャルイシューストーリー」では、「住生活」「超高齢社会」「地方創生」をテーマにした作家と芸人の短編作品が発表された。どれも身近な社会問題がテーマだが、中でも、作家・垣谷美雨さんの『親族会議』は身につまされる読者も多いのではないだろうか。
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実際にも、こういった話は多い。今も後悔しているという女性に聞いてみた。
 

姉妹骨肉の争いは母の“老い”が発端に

「父が亡くなったのは10年前です。その2年ほど前から入退院を繰り返していて、母がひとりで看護していました」

そう言うのはチフミさん(46歳)だ。父亡き後、母はひとりで暮らしていた。車で30分ほどのところにチフミさんの姉一家が住んでおり、姉は「たびたび母のところに行っている」と話していた。チフミさん自身は、結婚して18年、15歳、12歳、10歳の子がいる。東京在住で共働きをしており、実家とは新幹線で2時間ほどの距離。しかも末っ子が病気がちとあって、めったに帰れなかった。

4年前のこと。末っ子も体調が安定し、久しぶりに一家5人で実家に遊びに行った。

「家の中の様子がなんだかヘンなんです。荒れている感じ。ひとり暮らしだからしかたがないけど、きれい好きだった母にしてはおかしいと思いました。電話ではときどき話していたし、おかしいとは思わなかったんですが、今思えば、そんなにゆっくり話してはいなかった。安否確認しかしていなかったんですよね……」

事前に連絡していたのに姉は来ていなかった。母に聞くと、姉はめったに来ないという。話が違う。

「キッチンを掃除してくれていた夫が手招きするので行ってみたら、冷蔵庫には腐った野菜や賞味期限が切れた調味料がたくさんあって……。せつなかった。同時に、このままではいけないと思いました」

当時、母は70代後半にさしかかったところ。元気で社交的な母は、まだ認知症などにはならないだろうとチフミさんは決めつけていた。

少しずつ生活状況を聞いてみると、足が痛くて買い物に行けない、近所の人が声をかけてくれれば買い物を頼むこともある、自分からは悪いから頼めない、掃除はほとんどしていない……といったことがわかった。

「しばらくしてようやく姉がやってきました。母に聞こえないようにどういうことかと聞いたら、『私だって忙しいのよ、何もしないあんたに文句言われる筋合いはない』とすごまれてしまって。姉は何度も同じ話を繰り返したり、きちんと記憶できなかったりする母にうんざりして、しばらく来なかったみたいです。それなら福祉につないでもらわないとと言うと、『何もかも私に押しつけないでよ』と怒って帰ってしまいました」

母はにこにこしているし、話もできる。孫のことも覚えている。それほど老いてはいないはず。チフミさんは「老いた母」を認めたくなかったのだろう。
 

結局、施設へ預けたものの……

それ以降、彼女は母を気にしてたびたび連絡した。今日したこと、昨日の食事のことなどを聞きまくり、「まるで尋問しているような電話だったと思う」と言う。

「母を引き取りたかったけど、うちの状況を考えるとむずかしい。それでも2カ月に1回くらいは夫に子どもたちを頼んで、母の様子を見に行っていました。地域包括センターにも連絡、要支援にあたるかどうかを調査中、母は倒れたんです。電話しても出ないので、姉に連絡して見に行ってもらったら居間で倒れていた。脳梗塞でした」

幸い、おおごとにはならず、1カ月ほどで退院できたが、左手に麻痺が残り、ものごとを認知したり記憶したりする力も衰えていた。

「姉に相談しようと言ったら、『施設に入ってもらうしかないでしょ』と。それでもどういう施設がいいのか、母の望みも聞きたいし、と言うと、『お母さんの貯金を使ってあんたがやっていいから』と。けっこう大変でした。ときおり実家に泊まったりしながらケアマネさんに頼ってなんとか施設を見つけたんですが、母は施設は嫌だと泣きじゃくる。それでもどうしようもないからと説得して入ってもらいました」

それから半年後、コロナ禍となり、施設での面会ができなくなった。そしてさらに半年後、母は脳梗塞が再発して亡くなったという。

「もっと何かできたはずだと自分を責めました。姉と私と、私の夫だけで見送り、お葬式という形もとりませんでした。実家に立ち寄ると、姉がばつの悪そうな顔をしながら『私たち、留守番代わりに住んでるの』って。母の家を乗っ取ったということです。めぼしいものは売り払ったのか母の家財道具もなくなっていた。残っていたはずの貯金もなかった。姉が自分の口座に入れたんでしょう」

遺産はないと言われ、母が身につけていた結婚指輪だけをチフミさんはもらった。母は一時期、着物に凝っていたはずだが、その着物も残っていなかった。

「母が施設に入ってから、せっせと整理したんでしょうね。姉のことがまったく信じられなくなり、以来、絶縁しています。姉は『ずっと私がお母さんのめんどうを見ていたんだからね』と言うけど、実際には見ていなかったのはわかってる」

チフミさんは、ただ、母に謝りたいと今も思っているそうだ。あのとき、どうしてもっと母の身になって考えられなかったのか。姉と協力できなかったのはしかたないが、他に方法はなかったのか。家や財産を全部整理し、東京の施設に入れたほうがよかったのではないか。

「後悔しかありません。お墓は向こうにありますが、位牌は私が持ち帰りました。写真と位牌をダイニングキッチンの棚に置き、毎日、話しかけています」

チフミさんは涙ぐむ。あのときは時間に追われてなすすべがなかったのだ。自分を責めても母は喜ばない。わかっていても後悔すると彼女は言う。

家族だからわかりあえるわけではない。きょうだいは他人の始まりともいう。介護に「正解」はないのかもしれない。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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