「もう歳だから」と感じてしまう人へ。原因は“年齢”だけではないのかもしれません
諦める理由は、本当に“年齢”のことだけ?
歳を重ねている人だけでなく、若い人も同様に「自分の身体の声を聞きながら活動する」のは大切なことです。日ごろ体を動かしていないのに、急に走って無理をすれば体が故障したり、若い頃に比べたら、体力が落ち、疲れやすくなったりすることは誰にでもあります。ただ、やり方次第では実現可能なのに、「もう歳だから」とやりたいことをただ諦めてしまう場合には、諦める原因が“年齢以外”にある可能性もあります。何かを行動するとき、「これをやりたい!」という強い思いが大きなエネルギーを生み、原動力になります。つまり、「もう歳だから」といって諦めてしまっているうちは、「そこまでやりたいわけではない」可能性が高いのです。だったら、本気でやりたいと思うまで保留するのは仕方がありません。たとえ5年後、10年後に、「あのときにやっておけばよかった!」と後悔するときがきても、「あのときは、そこまでやりたいと思っていなかったのだ」ということを理解できていれば、納得できる部分もあるでしょう。
何をしたかどうか以上に、「自分自身が自己の人生に納得できるかどうか」のほうが大切です。たとえ諦めたのだとしても、諦めたことを含めて自分の人生に納得できる場合は、無理をしてまで行動することではないのかもしれません。
人生に正解はありません。周りの人がどう思おうと、あなたの人生はあなたのもの。大切なのは「あなたが自分の人生に納得できているかどうか」だけのことなのです。
「年齢による老化」には個人差がある
加齢は、誰もが使いやすい「諦めるためのいい口実」になります。しかし、それだけが理由ではないこともあるでしょう。実際に「年齢による老化」には個人差があります。単に「40歳になったから」「還暦になったから」といって何かを諦めなくてはいけない、ということはありません。そもそも若い頃だって、体力や若々しさには個人差があります。どんな年齢であっても、結局は「自分の心身」と対話をしながら、できるかどうかを判断しなくてはいけません。本気で何かをやりたいと思っているときは「年齢なんてどうってことない」と感じるもの。それは、自分がやりたいことを、どうにかして実現させたいと強く願っているからです。
何かをやりたいと思ったけど、年齢的にやめておこうと思う場合は、そこにはどんな理由が隠されているのか、きちんと探ったほうがいいでしょう。「やりたいのに、そこまで実現させたいという熱い思いがないのはなぜか」を考えると、逆に、ほかのやりたいことが見つかる可能性もあります。
諦めたのではなく、やらないだけ
よほど非現実的なことでない限り、「やりたい」と思ったときにチャレンジできることはたくさんあります。例えば、「富士山に登りたい」と思ったら、低い山から登山を経験し、体を鍛えていけば実現可能かもしれないし、現代の技術ではオンラインで“疑似体験”だってできます。つまり、100%理想通りではなくても、知恵と経験を使えば、やり方次第で実現可能なことは意外とあるのです。そして、本気でそれをやりたいと思ったら、自分でもやり方を調べるし、理想に少しでも近づくために努力をするもの。むしろ、本人には「努力をしている」という思いがないくらいに、ただ「好きだから」やってしまうものです。それをしないということは、「そこまでの思いはない」ということに過ぎません。諦めたのではなく、やらないだけのことなのです。
人に迷惑さえかけなければ、自分が何をしようがしまいが、自由です。やらない自分を責める必要もありません。とにかく「自分が納得できる人生」を目指して、日々を過ごしていきたいものですね。