精神とは何か? 非物質的で、霊的・神秘的なイメージを持つ人も
薬物治療によって精神をコントロールする
みなさんは「精神」と聞いて、どんなイメージを抱きますか。実体が明らかな「物質」とは別の、「霊的」、「神秘的」、「得体のしれない存在」というイメージが強いのではないでしょうか。
国語辞典などでその意味を調べてみると、精神は「人の心の働き」のことで、「霊魂のような物質的でないものを指している」とも書いてありますので、言葉としてはそうなのかもしれません。しかし、現代の脳科学においては、精神、すなわち「心の働き」も、脳の活動によって生じるものであり、神経系におけるシナプスや神経伝達物質とされる物質の働きによって説明できるようになってきました(シナプスや神経伝達物質についての詳細は「まるで脳内のインターネット!?シナプス伝達で会話する神経細胞たち」をお読みください)。ですので、実際のところ、精神は「非物質的なものではない」と言えます。
また、近年は、各種の精神疾患に対して、薬物治療が可能になってきました。薬は化学物質であり、それが私たちの体に入ったときに、生体分子と相互作用することによって生体機能に変化をもたらすことが薬効につながります。物質である薬が精神状態を変化させるという事実は、精神が必ずしも非物質的なものではないことを裏付けています。
今回は、脳科学と医薬の関わりによって、精神疾患に対する薬物治療が進歩してきた歴史を紹介し、「精神とは何か」を一緒に考える機会としたいと思います。
精神異常は悪魔のしわざ? 精神疾患が理解されるまでの歴史
精神疾患には、統合失調症、神経症、双極性障害(躁うつ病)などいろいろな種類がありますので、一概には言えませんが、精神状態に異常をきたした人がいた場合に、かつては「呪われている」「悪霊がついた」「悪魔のしわざ」などとみなされ、除霊の対象とされたこともあります。ひどい場合には、中世ヨーロッパで行われた「魔女狩り」のような処罰の対象とされたこともあります。20世紀になって医療が進歩してきたころでも、精神疾患患者が暴れたりすると、肉体的な拘束を強いたり、インスリン注射をして昏睡状態にしたり、電気ショックでおとなしくしたりと、今では考えられない非人道的な扱いがなされていた時代が続きました。みなさんは、1975年のアメリカ映画『カッコーの巣の上で』(主演ジャック・ニコルソン)をご覧になったことがありますか。1976年の第48回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞の主要5部門を独占しましたし、初公開から40年以上たった今でもたびたび取り上げられることの多い名作ですので、まだという方は是非見てみてください。映画の本当のテーマは違うところにあるかもしれませんが、当時の精神病院で行われていた非人道的な患者への扱いが描かれていますので、参考になると思います。
いずれにしても、長い間、精神は、得体の知れないもので、とても薬でコントロールできるような対象ではなかったというわけです。しかし、「炭酸リチウム」という化合物に精神を変容させる作用があることが発見されたのをきっかけに、精神神経疾患に対する薬物療法の道が拓かれました。
精神疾患は治療できる病……リチウムが開拓した薬物療法
中学や高校で化学を勉強したときに、元素周期表に含まれる元素を「スイ・ヘイ・リー・べ…」と語呂合わせで暗記したことのある方なら分かると思いますが、「リチウム」は、原子番号3の元素です。このリチウムが初めて医療に応用されたのは、痛風治療が目的でした。通風という病気の原因は、体内に「尿酸」という物質が多く溜まり過ぎて、体液に溶けきれなくなった尿酸が結晶化して析出することです(詳しくは「プリン体ゼロビールは無意味?実は痛風予防に効果がない理由」をお読みください)。尿酸は水に溶けにくい物質ですが、試験管内の実験で、リチウムを添加すると尿酸結晶を溶解できることが分かったので、それと同じようにリチウムを取り込めば、体内で結晶化した尿酸を溶かすことができるだろうと考えられました。しかし、患者の体内にたまった尿酸結晶を溶かすには大量のリチウムを与えなければならず、通風を治すどころかリチウムの毒性で致命的になってしまうこともあったため、痛風に対する治療法としては確立しませんでした。ただ、当時は、過剰な尿酸が悪さをして気分障害を起こすと考えられていた(尿酸による脳痛”brain gout”)ため、1870~1890年代にデンマークのC・ランゲや米国のW・A・ハモンドが、躁状態やうつ状態の患者に対してリチウムを与えるという試験を試みました。しかし、その効果がはっきりしないうちに、20世紀になって「脳痛」という考え方が否定されたため、リチウム療法はいったん忘れ去られてしまいました。
そんなリチウムが復活したのは、およそ50年後のことでした。
第二次大戦後間もないころ、オーストラリア・メルボルン大学の精神科医ジョン・ケイドは、躁うつ病の原因物質が患者の尿中に含まれていると考えました。そこで、尿中に含まれる尿酸の効果を確かめようとしましたが、上で説明したように尿酸は水に溶けにくいため、水溶性の尿酸リチウムを代用することにしました。そして、実際に尿酸リチウムの注射液を用意してモルモットに投与したところ、動物がおとなしくなることに気づきました。ケイドはこの効果が尿酸によるものであることを確かめたくて、別の「炭酸リチウム」を用いて同じ実験を行った(炭酸リチウムが無効であればリチウムは関係ないと証明できることを期待していた)ところ、意外にも、やはりモルモットがおとなしくなりました。つまり、尿酸とリチウムから成る尿酸リチウムが効いたのは、尿酸ではなく、リチウムの方が関係していたことが分かったのでした。その後、ケイドは、躁状態の患者に炭酸リチウム(尿酸リチウムだと尿酸の毒性が懸念されるため、炭酸リチウムの方が選択された)を投与し、ヒトでも、精神症状が改善されることを確かめることができました。1949年のことでした。
ただし、リチウム療法が確立されるまでには、もう一山乗り越えなければならない障壁がありました。
ケイドによってリチウムの有効性が確かめられた同年、奇しくもアメリカでは、高血圧症の減塩治療のために一般の食卓塩(塩化ナトリウム)の代わりに「塩化リチウム」を使用した4つの商品(Salti-salt、Milosal、Foodsal、Westsal)が発売され、当時はリチウムの毒性についての認識が薄かったため、それらを日常的に摂取し続けた人々がリチウム中毒を引き起こすという社会問題が起きてしまったのです。この事件をきっかけに、一転して「リチウムは危険な毒」と認識されるようになってしまい、ケイドによって再び灯されたリチウム療法の光は、また消えかかろうとしていました。しかし、炭酸リチウムの効果を確信した一部の医師たちが、デンマーク、オーストラリア、フランスなどで臨床試験を続け、次第に説得力を増していきました。そして1960年代になって、リチウムを投与した後に血中濃度をちゃんと測定しながら、中毒量に達しない範囲で使用し続ければ、リチウムは安全に使用できるという方法が提案され、それが広く認められるようになって、ついに炭酸リチウムが躁状態を抑制できる薬として世界各国で承認され、「薬で精神をコントロールする」という道が開かれたのでした。
ちなみに、日本で炭酸リチウムが正式に発売され、治療に用いられるようになったのは、1980年からです。
精神には、物質的な側面だけでは語りつくせない面も?
現在の精神疾患の薬物療法では、リチウム以外にも多くの薬が使用可能になっていますが、そのきっかけを作ったのは、実質的にリチウムです。リチウムという、小さな単一元素を与えるだけで、複雑に思える人間の精神をコントロールすることができたわけですから、驚くしかありません。実は、なぜリチウムが効くのかは、いまだに解明されていないのですが、効くのは間違いありません。物質的にコントロールできるということは、「精神」というものに物質的な側面があるのは事実でしょうが、「脳のシナプスや神経伝達物質の働きで精神が形成されている」とあっさり説明してしまうのは何だかつまらない、現代の科学では説明できない神秘的な部分が少しはあったほうがロマンチックな感じがして、さらに研究のし甲斐があると思うのは、私だけでしょうか。