幼児教育、脳のトレーニング…無責任に広まる「右脳・左脳説」
幼児教育などの宣伝文句でもよく見かける「右脳・左脳説」。脳科学的には根拠があるとはいえません
「脳には右と左があり、働きが違います。天才的な働きをする右脳が開いている幼い時期に、脳科学に基づいたトレーニングを行い、活性化してあげましょう。」(一部改変)
「右脳の働きは3歳ごろが最も活発で、年齢を重ねると左脳の働きが上回るようになると言われます。右脳派・左脳派という分類は、役割が異なる右脳と左脳のどちらの特徴が強く出やすい人かという点を踏まえたもので、自己分析をして就職活動などに役立てることができます。」(一部改変)
あまり脳のことを知らない方にとっては、「なるほど」と頷きたくなる内容かもしれませんが、脳について少しでも学んだことのある方なら、議論に値しないくらい荒唐無稽な説明だということはお分かりいただけると思います。
ここで語られているような考えは、一般に「右脳・左脳説」と呼ばれているものですが、学術的な信ぴょう性はどうかというと、自分で実験研究に取り組んだことのある、本物の脳科学者の中では当然支持されていません。世間にあふれている「右脳・左脳説」のどこが問題なのか、わかりやすく解説してみたいと思います。
左右差が見られたのは「分離脳」での話
「右脳・左脳説」の誤解を解くために考慮すべき点は、主に3つあります。1つ目は、その源流になったと思われる、アメリカの神経心理学者ロジャー・スペリーによる「大脳半球の機能分化に関する研究」が、あくまで脳梁離断術という手術を受けた、分離脳患者を対象にしたものであるということです。
記事「右脳派は芸術脳?左脳派・右脳派の性格診断を信じてはいけない理由」で解説したように、スペリーによる分離脳の研究は、脳科学の分野に大きなインパクトを与えました。その研究内容は「左右の大脳が独立した機能をもつことを明らかにした」と紹介されることが多いのですが、本当のところは「脳半球間の連絡が絶たれると左右の脳がバランスよく働かなくなってしまう」ということが実証されただけです。分離脳患者の脳内で起きていることが、私たち健常人にあてはまるというわけではありません。
右脳・左脳を比べて議論するのはナンセンス! 「右脳=天才脳」は誤り
2つ目は、「右脳・左脳説」が、左右の脳を比べて議論しようとしている点です。大脳の機能局在論が、本格的に研究されるようになったのは、1860~1870年代のブローカやウェルニッケによる言語中枢の発見がきっかけでした。また言語中枢は、90%以上の人で左の大脳半球に局在していたことから、左を「優位半球」、右を「劣位半球」と呼ぶようになりました。このことも、「右脳・左脳説」を生み出す元凶になったようです。私たちは、少数派に魅力を感じるところがあります。「左利き」や「AB型」に天才が多いと言われるのもそのためです。「左利きに天才が多い」という通説の真偽については、別に詳しく解説するつもりですが、「天才は利き手に関係なく少数しかいない」というのが正しいと思います。でも、少数派は何か特別な感じがするので、多数派から見ると「自分とは異なりすごいに違いない」と思いたくなるのでしょう。
言語をあやつる私たち人間の場合は、普段、左の脳を中心に使っており、右の脳はあまり使っていない(実際はそんなことありませんが)と説明されると、劣位半球の右の方が特別な存在のように思えてしまうのでしょう。
ちなみに、右の脳半球は、言語で説明できないことを処理するのが得意だと言われていますが、改めてよく考えてみると、言語中枢をもたない右の脳が、非言語的な事柄を扱っているのはごく当たり前のことではないでしょうか。何も特別なことをやっているわけではありません。
人間の脳の習性は分類を好む? 「血液型別」「右脳・左脳派」などの流行
さらに、私たちの脳には、「多様性」を認めたがらない傾向があります。「人それぞれでいい」と口ではいうものの、何かに分類して枠に当てはめようとします。典型的なのが「血液型による分類」です。性格診断や占いによく利用され、私も飲み会などで話題作りのために、お互いの血液型を確認し合うこともあります。面白いですが、まじめに考えると何の意味もありません。たくさんの多様な存在をそのまま一つ一つ認めるのでなく、特徴づけして比較的少ない数に分類したほうが分かりやすく、私たちの脳は落ち着くようです。血液型別○○というものが非科学的だと説明されても、世間から「うける」のはこのためでしょう。
男女差別や人種差別が根深く未だに無くならないのも「人間の脳の習性が影響しているのかもしれない」と、脳科学者としての私は思っています。「右脳派・左脳派」という学術的には意味不明な分類が登場しているのも、このためではないでしょうか。
優劣はない左右の脳…歩行中の両足に優劣がないのと同じ
2つの対峙する事柄があると、どうしても「勝ち負け」や「優劣」をつけたがるのが私たちの習性なので仕方ないかもしれませんが、脳科学においてはその考えは、きっぱりと捨てましょう。脳も一つにまとまって働いてこそ意味があるわけですから、左右の優劣はないと考えましょう。そのことがよく分かる例をいくつかあげておきましょう。もっとも分かりやすい例は、「歩行」でしょう。みなさんが歩くときには、左右どちらの脳を優先的に使いますか。そうです、まったく差がないはずです。両側の脳を均等に使って左右の手足を動かさないと、うまく歩けませんね。
言語は左脳中心と思われていますが、左脳だけではコミュニケーションがうまく成立しません。もし、左脳だけで考えたことを言葉に変換して発声した場合には、ロボットのような話し方になってしまいます。文法的には正しくても、まったく感情がこもっていないからです。感情を込めて話すには、右脳の協力が必要です。相手の話を聞き取るときも、左脳だけだと真意がくみ取れないことがあります。たとえば、口では「平気だよ」と言いながら、相手の表情がこわばり顔が紅潮しているときは、「怒っているな」と感じることができますね。言葉には含まれていない雰囲気を読み取るのも、右脳の大切な働きです。もっとも左脳が得意とするはずの言語でさえ、右脳の助けが必要なのです。
右脳・左脳説では、「理系人間は左脳を中心に使う」と言われていますが、仕事柄理系人間に分類されるであろう私自身、いわゆる「左脳派」には当てはまらないと思います。私は学生時代、数学や物理の問題を解くのが大好きでした。ただし、計算は好きではありませんでした。問題を見たときにこれをどう解けばよいのか考えるのは面白いのですが、その道筋の見当がついた後に計算して答えを出すのは、面倒くさくて嫌いでした。ただおかげさまで計算力もそこそこあったので、ちゃんと正解を出すことはできました。思考過程が特に好きだったのは、図形の問題です。数式を空間的イメージに置き換えて、その意味が理解できたときには快感を覚えたものです。また、私の別の趣味は絵を描くことです。幼い頃は、本気で絵描きになりたいと思ったこともあったくらいです。理系人間が、左脳に偏っているとは到底思えません。今取り組んでいる脳科学の研究においても、片側の脳しか使えないのでは、仕事になりません。理系人間こそ、両方の脳をバランスよく使えないといけないと確信しています。
最後の例は、リンゴの皮むきです。みなさんはリンゴの皮をむくのに、右手、左手のどちらを使いますか。右利きの人なら「右手」と答えたかもしれませんが、それは正しくありません。よく考えてみてください。左手にリンゴをもち、右手に包丁をもった場合、右手は包丁をしっかりと固定しているだけです。左手の方を器用に動かして、リンゴを包丁に押し当てることによって、皮を剥いているのです。なので、どちらかというと左手の役割が重要です。左手が器用になると、リンゴは上手に剥けるようになります。いずれにしても、左右どちらか一方ではリンゴの皮を剥くことはできませんから、「両方」と答えるのが正解でしょう。
これらの例からも明らかなように、普段のほとんどの活動で、片側の脳だけを使うということはないのです。それだと、何一つ目的は達成できないことでしょう。左右の脳に優劣はなく、いつも両方必要なのです。
言語中枢が左、空間認知が右の脳を中心に行われたとしても、それは「大脳の機能局在」の一側面に過ぎず、差別的に脳の機能が左右に分かれているわけではないことを理解しましょう。
「右脳・左脳説」を広めてしまった受け手側の感覚も問題
3つ目の問題点は、「右脳・左脳説」を聞き入れてしまっている人の側にも責任があるということです。私は過去に、あるメディアから「右脳・左脳説」に基づいた生活習慣についてコメントを求められたことがあります。詳細は割愛しますが、そこで紹介されていた方は、その日の活動内容に合わせて、寝る前にどちらかの頭皮を重点的にマッサージする健康法を行っていました。著名な方の書籍で「右脳・左脳説」を知り、あわせて、通っていた美容室で「右脳・左脳別マッサージ」というものを勧められたため、ということでした。たいへん申し訳ないのですが、「開いた口がふさがらない」とはこのことだと思いました。伝言ゲームの結果、右脳・左脳説がここまで歪曲されて伝わっているのかと愕然としました。
私は、一般的な大脳の機能局在に関する説明をしただけで、それ以上のコメントは控えさせていただきましたが、いつかどこかでこの問題点を解決できるアドバイスができればと思ってきました。「右脳・左脳説」はエンターテイメントとしては確かに面白いものかもしれません。しかし、全く疑うことなく信じ続けているとすれば、受け手側にも問題がないとは言えないでしょう。