スラックスをはきたいと娘が言う
「うちの娘は小学校時代からほとんどパンツルック。スカートは嫌いと言って、私服もパンツですね。私はそれでいいと思っていました。本人が好きな服を着ればいいんだから」シホさん(42歳)はそう言う。たまたま、娘が進学する中学では制服にスラックスを選べることがわかり、娘は大喜びだった。
「娘と一緒に制服を見に行ったんです。もちろん彼女はスラックスを選択。どのくらいの人数がスラックスを希望するのかとお店の方に聞いてみたら、『まだそれほど多くはありませんね』とのこと。娘に『もしクラスで、スラックスをはいているただひとりの女の子だったらどうする?』と聞いたら、それでもいい、ときっぱり言いました」
シホさん自身は、かわいい制服に憧れて私立の女子校に進んだ経験がある。だが今どきの子にそれは通用しないこともわかっている。
「ただ、私の中にも女の子なんだからスカートの制服も見てみたいという気持ちがなかったとは言えません。夫はもっとそう思っていたんでしょうね。スラックスにしたと聞いたとたん、うーんと唸っていました。でももちろん、『自分の好きな格好がいちばんいいと思うよ』と娘に笑顔を見せていましたが」
もっと強硬だったのは、同居しているシホさんの実母だ。シホさんは結婚してから14年、ずっと共働きで家庭を維持してきた。だが娘と2歳違いの長男を出産したあとはさすがに家事と育児、仕事のすべてをこなすのはむずかしくなり、ひとり暮らしをしていた母と同居するようになった。
「価値観が違うから、これまでもけっこう母と私はぶつかり、温厚な夫が仲裁に入ることが多かったんです。でも今回ばかりは、母は一歩も譲ろうとしませんでしたね」
スラックスなんてとんでもない。女はスカートをはくべきよ、と。
「~べき」が怖い
娘が子どもから若い女の子になりつつある時期だからだろうか。シホさんの母親は、やたらと孫に「かわいい女であるべき」と吹き込んでいる。そのたびに「そういうことを言うのはやめて」と言ってきたのだが、制服問題で一気にその違和感がふくらんだ。「母は『女はスカートをはくべき』と押しつける。だから私が『どうして』と聞くと、『そういうものだから』『スカートのほうがかわいいでしょ』の一辺倒。スラックスのほうが行動的だし機能的だと私が言っても聞く耳をもたない。娘が『おばあちゃんは、どうして女の子はかわいくなければいけないと思ってるの?』と尋ねると、『そうでなければ、お金持ちのいい男に選んでもらえないから』って。あのね、おかあさん、と私は本気でキレそうになりました」
娘は軽やかに、「私は別に選んでもらわなくてもいい。自分で仕事をもつし、結婚相手は自分が選ぶ。結婚しなくてもいいし」と言い放った。とたんに母は「何バカなこと言ってるのよ」と叫んだ。
「12歳の孫に怒鳴ることはないでしょう。母は時代が変わったこと、女性が自分の意志をもつことにすごく臆病なんですよね。男の庇護のもとに生きているのが幸せだと思ってる。だからといって母は亡父と仲がよかったわけじゃないんですよ。陰で父の悪口ばかり吹き込まれたのは私ですから。そういう母がなぜ孫の自由を阻止しようとしているのか、まったくわからないんです」
母に深い理由はないのだろう。「そういうものだ」と決めつけていたほうが楽なのではないだろうか。選択肢が増えるほど、人は自分の意志を明確にしなければいけなくなる。だが父親や夫に縛り付けられた「女はこうあるべき」を、自分自身も取り入れてしまえば考えずに生きられる。
シホさんの母は70代前半だというが、その世代は一部でウーマンリブなどが取り沙汰されたものの、一般的にはまだ古い価値観に則って生きてきた人が多いのではないだろうか。
「本人が自分の意志をきちんと示せなかったのはしかたがないけど、ろくに信じてもいない価値観を娘に吹き込もうとしているのが嫌なんです。母はいつも自分の人生を悔いているような人。そんな人の言い分で娘の心を揺さぶらないでほしい」
シホさんは、娘に「ブレるな」と言った。娘はニヤッと笑ったという。シホさんが考えるより、今どきの12歳はよっぽどしっかりしているようだ。
「おかあさんこそ、おばあちゃんに言い聞かせてよと言われたので、もう遅いと言っておきました(笑)。自分が変わろうとしない限り、人は変わらないものだから」
男に負けないように生きてほしいわけではないとシホさんは言う。娘が自分の意志をもち、自分らしく楽しく生きてくれればいいだけ。
「それがいちばんむずかしいことかもしれませんけどね」
シホさんはそう言ってため息をついた。世の中は少しずつしか変化しないけれど、少なくともスラックスを選べる時代にはなったのだ。男も女も、スカートでもスラックスでも好きなものをはけばいい。制服が嫌なら制服を着なくてもいいことにすればいい。まだまだ個人の裁量に委ねるべきものはたくさんある。