脳に欠かせない酸素。でも酸素カプセルの効果は無意味?
酸素カプセルで記憶力や集中力が上がる? 多くの酸素を取り込むことで、脳への健康効果は期待できるのでしょうか?
私があるところで脳科学に関する講演を行い、この説明をしたところ、会場から「酸素カプセルは効果がありますか?」という質問が出ました。酸素カプセルとは、高気圧環境のカプセルの中に入り、大量の酸素を体内に取り入れるのに役立つと説明されている健康器具のことで、当時テレビや雑誌で取り上げられ、話題になっていました。スポーツ選手や芸能人の間で、体の健康維持やシェイプアップのために利用している人が増えているとのことでした。頭がすっきりして、集中力や記憶力がアップするといった宣伝もあるようです。しかし、即座に私は答えました。「健康な人が必要以上に酸素を吸入しても無意味です」
それでも、脳に酸素は必要だから酸素カプセルは良いはずだと信じて疑わない人がまだまだいるようです。医学的には効果が不明と言わざるを得ない健康器具に無駄なお金を費やさないためにも、そもそも酸素はどのように脳に届けられているのかを理解しておくことが大切です。分かりやすく解説します。
酸素は多く吸っても無意味…血液に溶ける酸素の量には限りがある
酸素は水に溶けますが、その溶解度には限りがあります。たくさんの酸素を一時的に吸い込んで、それが血液に溶け込んだとしても、すぐに減ってしまいます。酸素カプセルの良さの宣伝文句として、「酸素カプセルで取り入れる酸素は溶解型酸素と呼ばれ、血液や体液に直接溶け込む性質を持っている」といった説明がされていることがあるようですが、もしその効果があったとしても一過性のもので、体のしくみを考えれば、持続的に血中酸素濃度を高めることができるわけではありません。また、その効果を期待するなら、一生ずっと酸素カプセルに入っていなければならなくなりますね。
効率よく酸素を運ぶ「赤血球」と「ヘモグロビン」
では、よりたくさんの酸素を体内に保ち体のすみずみまで運ぶために必要なのは何でしょうか? その役割を果たしているのが「赤血球」です。赤血球は、みなさんおなじみだと思いますが、血液中を浮遊している円盤状の小さな血球細胞の一種です。少しだけ専門的になりますが、赤血球が体内の他の細胞と決定的に違うのは、核その他の細胞小器官をもっていないことです。骨髄で、造血幹細胞から赤血球が作られるときには、「脱殻」というプロセスがあり、細胞内にある核などを捨ててしまうのです。他の細胞は、核や細胞小器官を使って、細胞分裂や代謝反応などを行いますが、赤血球は行いません。赤血球が果たすべき仕事は「酸素を運ぶ」ことであり、それ以外の活動は「酸素を無駄に消費する」ことにつながるので、あえて細胞小器官を捨ててしまったのでしょう。山に登るとき、余計な荷物はもたず、できるだけ身軽にするのに似ていますね。
そして、「酸素を運ぶ」という唯一の使命を果たすために赤血球がもっているのが、「ヘモグロビン」というタンパク質です。赤血球の乾燥重量の約9割をヘモグロビンが占めていますから、赤血球は、細胞というより、いわばヘモグロビンだけを閉じ込めた袋とみなしたほうが適当かもしれません。
ヘモグロビン分子中には鉄が入っており、その鉄イオンが酸素と結合します。酸素が結合していないヘモグロビンは黒赤色で、酸素を結合したヘモグロビンは鮮やかな紅色をしています。酸素をたくさん含んだ動脈血が真っ赤な色をしているのは、その中に含まれる赤血球のヘモグロビンにたくさんの酸素が結合しているためです。
私たちが普通に呼吸をして、特に息苦しくなく過ごせているときには、動脈血中の赤血球のヘモグロビンには、ほぼ100%飽和状態で酸素がついています。運動したりすると、ヘモグロビンにつく酸素が一時的に減ることはありますが、呼吸と心臓の動きを速くして酸素をたくさん取り込むことによって、すぐに回復させることができます。
パルスオキシメーターで簡単にチェックできる体内酸素量・そのしくみ
以前でしたら、みなさんが、自分の体内の赤血球にどれくらいの酸素が結合しているかを知ることは難しかったでしょう。しかし今は、新型コロナ感染症の対策として「パルスオキシメーター」が普及しています。すでに家庭内に常備して、健康チェックに利用されている方も多いことでしょう。私自身も簡易型のものを所有しています。「血液中の酸素量を測る」と聞くと、体を傷つけて血液を採取しなければならないのかと怖くなる人もいるかもしれませんが、まったくそんな必要はありません。クリップのような形をした装置を開いて、赤い光が出ている検出器の部分に指をはさむだけで、皮膚を通して動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を数秒で測定できるので、とても簡単です。どの指を使って測ってもいいですが、「パルス」オキシメーターというくらいですから、パルスつまり動脈血のドクドクという拍動が検出できる場所で測定する必要があります。
パルスオキシメータ―の測定原理は、酸素を結合していないヘモグロビン(脱酸素化ヘモグロビン)と酸素を結合したヘモグロビン(酸素化ヘモグロビン)では、光の吸収の仕方が違うことを利用しています。具体的には、2種類の光、つまり波長約660nm の赤色光と波長約940nmの赤外光をあてたときの吸光度を比較分析することにより、酸素を結合したヘモグロビンの割合を推定することができます。
また、指に光をあてただけでは、静脈血や軟部組織に分布するヘモグロビンを測ってしまうこともあるため、測定している指先で拍動がとれることを確認します。拍動が検出できる条件で測定された数値であれば、動脈血のヘモグロビンを測っていると判断できるからです。
通常私自身が測ると、SpO2は98~100%と表示されます。つまり、私の動脈血にあるヘモグロビンの98~100%が常に酸素を結合しているということです。
酸素カプセルを体験して調べてみた……血中酸素量の実際の変化は?
脳科学の講演会場で「無意味」と答えたものの、科学者たる以上、思い込みで話をしてはいけませんね。実際のところが気になった私は、後日こっそり高圧酸素カプセルの店に行って、検証してみることにしました。私が行ったお店は、なかなかおしゃれな店構えで、やや薄暗い照明で室温は低めに設定されてあり、いかにもリラックスできそうな雰囲気でした。いろいろ説明を受けた後、円筒状の大きな保育器のような装置に入れられ、30分ほどその中で寝っ転がっていました。ヒーリングミュージックの後押しもあって、気がついたら爆睡していたようです。確かに気持ちよかったです。
ただ、カプセルから出た後に自分のパルスオキシメーターを使って測ってみたところ、やはりSpO2はいつもと同じ99%でした。
これは当たり前と言えば当たり前の結果でした。普通に健康な人が、静かに酸素カプセルに入っていても、酸素が結合しているヘモグロビンにそれ以上酸素はくっつきません。100%を超えることはあり得ないのです。
お金を払って浴びていた酸素は、体の中にほとんど入っていかず、外の空気中にでも垂れ流しになっていたのでしょう。体験後に癒された感じがしたのは、酸素のおかげではなく、照明や快適な温度や音楽によるものだと考えられます。また、カプセル内は高気圧になるため、鼓膜の圧迫感はありますが、健康な人が入っても、酸素の多さで体に深刻な害が出るといったものでもなさそうです。私自身が足を運ぶことはもうないでしょうが、酸素うんぬんといった効果は無視して、終わった後に気持ちいいからやりたいという人はやってもかまわないかな、というのが正直な感想でした。
医療現場では、病気のために脳が低酸素状態にある人に対し、治療目的で酸素吸入を積極的に行わせることがあります。しかし正常な人が脳の健康を維持するためには、脳の血管を正常に保つことが重要で、酸素そのものを直接取り込もうとすることに意味はないことを知っておきましょう。