前頭葉・頭頂葉・後頭葉・側頭葉? 実はあいまいな大脳皮質の区分
前頭葉・頭頂葉などの部位で呼ばれる大脳皮質。しかしその境界は実はあいまいです
実は、「大脳皮質が4つの部分から成っている」ではなく、「昔の誰かが4つに分けて考えようと提唱したので、それに従いましょう」というのが正しい説明です。まだ脳のことがよくわかっていなかった時代には、脳の表面に不規則についているように見えるシワの意味なんて、皆目見当がつなかったことでしょう。しかし、多くの脳の標本を見比べながら研究するうちに、共通した規則性を見つけ、それを手がかりにして広い脳をいくつかに区分することを誰かが思いついたのです。
今回は、大脳皮質のつくりを深く理解するために、黎明期の科学者たちが大脳のシワを研究してきた歴史を一緒にたどってみましょう。
人間の大脳のシワ・脳溝(のうこう)…脳を上下に分けるシルビウス溝
もし、あなたが、何の知識もなく、たくさんのシワが入った脳を初めて見たとしたら、どう思うでしょうか。「何だか気持ち悪い」「変な形」…そんな感想で終わるかもしれませんね。でも、そこに隠れている意味を、形の規則性などから解き明かそうとした人たちがいました。専門用語では「脳溝(のうこう)」と言いますが、人間の大脳のシワに見られる特徴に気づき、最初に記載したのは、1600年代にオランダで活躍した解剖学者フランシスクス・シルビウスだと言われています。シルビウスは、1614年にドイツの裕福な家庭に生まれ、オランダのライデン大学で医学を学んだ後、1637年にスイスのバーゼル大学で医学の博士号を取得しました。その学位論文中に、「大脳外側溝」の記載がありました。大脳の側面にあって、大脳を上部と下部に隔てている大きな溝が人間の脳に共通してあることに気づき、「外側溝」と名付けたのでした。
その後、シルビウスに教えを受けたデンマークの医師トーマス・バルトリン(著名な医師カスパー・バルトリンの長男)が、1641年に出した脳解剖学のテキスト「Institutiones anatomicae」の中で、シルビウスに敬意を表して、大脳外側溝を改めて「シルビウス溝」と記しました。
ただ、この重要な発見の歴史には、一部修正が必要かもしれません。「シルビウス溝」という名前が普及したために、その発見者がシルビウスであると信じている人は多いのですが、よく調査してみると、シルビウスより40年近く前の1600年に出版された「Tabulae Pictae」という書籍の中で、イタリアの解剖学者ジローラモ・ファブリッチ・ダクアペンデンテがすでに大脳を上下に分ける外側溝を記述していたことが見つかっています(Neurosurgery, 63(4): 623-628, 2008)。なので、「シルビウス溝を最初に記載したのはダクアペンデンテである」が正解といえます。
脳を前後に分けるローランド溝(中心溝)
シルビウス溝が発見されてから、次に大きな脳溝の存在が指摘されるまでには、およそ200年近くかかりました。イタリアの解剖学者ルイジ・ローランドは、大脳半球の構造について記した1829年の論文中で、大脳の前後のおよそ中央部に、上下に走る明瞭な脳溝があることを記載しました。ただし、このときローランドは、これを「腸管様隆起」と説明しています。脳表面の様子が、ヒダがたくさんある腸管の内部に似ていると思ったからでしょう。
ローランドが記載した脳溝は、今では「中心溝」と呼ばれています。発見者のローランドに敬意を表したフランスの医師フランソワ・ルーレによって、中心溝は「ローランド溝」とも命名されました。また、このときルーレは、いろいろな動物の大脳を比較研究し、ローランド溝より前の部分が、サルよりも人間で大きいことなども報告しました。これは今でいう前頭葉に相当する部位です。
前頭葉・頭頂葉・後頭葉・側頭葉で区分された大脳皮質
シルビウス溝とローランド溝の存在が明確になったことで、大脳皮質の区分がしやすくなりました。そして、それを手がかりにして今のような4つの領域、前頭葉・頭頂葉・後頭葉・側頭葉に分けることが提唱されました。シルビウス溝を目印に、大脳の下側面にある部分を「側頭葉」とし、ローランド溝を目印に大脳の上部にある部分の前方を「前頭葉」、後方を「頭頂葉」としました。さらに、後に「頭頂後頭溝」と呼ばれる大きな脳溝が大脳の後方にあることが同定され、「頭頂葉」と「後頭葉」に分ける境界とされました。なお、「頭頂後頭溝」は、外側面からは少ししか見えません。大脳半球の内側面を見ると、上から下そして前方へと延びる深い溝になっています。 今の脳科学の土台となっている、この大脳の4つの区分を定めたのは誰なのかについては、実ははっきりしていません。ドイツでは、ドイツの解剖生理学者フィリップ・フリードリヒ・アーノルドが1834年に出した著書中で、その提案を行ったと言われていますし、日本でもその説が有力視されています。しかし、フランス人によれば、ローランド溝を命名したルーレと、同国の解剖学者ルイ・ピエール・グラチオレが共同で執筆した比較解剖学の教科書の中で提唱したのが最初だとされています。
いずれにしても、大脳を4つの領域に分けて説明するというアイデアは、およそ180~190年前に作られたものということになります。
4領域以外の「第5の脳葉」も……手相のように知るほど面白い脳科学
大脳皮質の4領域には、いずれも「葉(英語ではlobe)」の字がついていますね。「耳たぶ」を意味する古代ギリシャ語のλοβός (lobós)が語源で、明確な切れ込みが入って区別される植物の葉っぱの一つ一つの領域のことを指すときにも使われます。大脳の断面を見たときに、大脳の表層が深い脳溝で明瞭に区画された領域の集まりで出来ている様子が、まさに葉っぱのように見えたので、この語が使われたに違いありません。ちなみに、他の体の中にも、「肺葉」や「肝葉」のように、明瞭な境界によって区画された組織や器官片などの領域のことを指すときにも、「葉」という字が使われています。「大脳皮質の脳葉は4つ」が常識のようになっていますが、実は「第5の脳葉」があるのをご存知でしょうか。
発見したのは、オランダの解剖学者ヨハン・クリスチャン・ライルです。シルビウス溝とローランド溝が発見された時代のちょうど中間くらいの1796年に、「Exercitationum anatomicarum fasciculus primus de structura nervorum」という学術書の中で、図はなく、その存在が文章で記されました。
その部分は、大脳皮質の外側面に位置するものの、大きく張り出した前頭葉・頭頂葉と側頭葉に覆い隠されて、外からは見えません。外側溝にヘラのようなものを差し込んで開くと、ようやく中にあるのが見つかる部分です。まるで島のようにポツンと存在することから、島を意味するラテン語のinsulaを語源として、島皮質(insular cortex)もしくは単に島(insula)と呼ばれています。脳葉の一つと考え、島葉(insular lobe)と呼ばれることもあります。また、最初に記載したライルの功績を称えて付けられた「ライルの島」という名でも知られています。島皮質と他の領域の境界となる脳溝は、島を取り囲むように存在しているので、「島輪状溝」と名づけれています。
発見の歴史は古いにもかかわらず、この島皮質が何をしているのかは、いまだによくわかっていません。発見当初ライルは、島皮質が高次精神機能に関わると予測しましたが、あまり注目されることなく、近年まで忘れられた存在になっていました。
しかし、大脳のヒダの奥深くに隠されたこの謎の部分が、私たち人間が、脳全体をバランスよく働かせて、心豊かに人生を過ごすために大切な役割を果たしていることが、最近わかってきました。島皮質は、社会的感情、道徳的直感、共感、音楽への感情的な反応、依存、痛み、ユーモアなど、様々な情動体験に関わる幅広い役割を担っていることが、次々と報告されるようになってきました。脳の中で「ハブ(中継地点)」のような役割をしている構造的な特徴も注目され、「他人の気持ちと自分の気持ちを関連付ける」、「自分を主観的あるいは客観的に見比べる」、「過去の自分と今の自分や、今の自分と未来の自分のイメージをつなげる」といった役割も担っているようです。
昔の科学者たちが、シワや領域につけた名前。その歴史を知ったみなさんは、まるで「手相」のように、脳のシワの形一つ一つに親しみがわき、大切な意味があると思えるようになったのではないでしょうか。深く知れば知るほど、もっと知りたくなるのが、脳科学の醍醐味です。