脳科学・脳の健康

記憶を司る海馬の働きに左右差はあるのか

【脳科学者が解説】大脳辺縁系にあり記憶を司る「海馬」は、左と右に一対あります。左右の海馬には、大きさや形、基本的なつくりに違いや差はないように見えます。しかし、脳の左右差が議論される中で、海馬の働きにも左右差があると考えられ、最近の脳科学の興味深い研究テーマになっています。海馬の左右差とそれぞれの働きについて、わかりやすく解説します。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

左右の海馬に違いはあるのか……左右差と働きについての研究

左右の海馬の違い

左右の海馬は、見た目ではほとんど違いがありません。しかし最新の研究で左右差があることがわかってきました

脳の海馬の働き・機能…記憶や空間認知力に深く関係」で解説したように、タツノオトシゴに似た形をした大脳辺縁系の「海馬」は、左と右の側頭葉の奥に一対あります。そして左右の海馬の大きさや形、そして基本的なつくりに違いや差があるようには見えません。また、記憶を司るという基本的な役割は同じです。

しかし、脳の左右差が議論される中で、海馬についても左右でわずかな差があるのではないかと考えられるようになり、最近の脳科学の興味ある研究テーマになっています。今回は、海馬の左右差とそれぞれの働きに関する知見をいくつか紹介しましょう。
 

どちらかの海馬を失うとどうなる? 手術の後遺症から考える働きの違い

一つ目は、海馬を切除した時の影響として、左右差があるという知見です。

てんかんという病気で海馬に異常があると考えられた場合には、治療のために手術で海馬を切除することがあります。とくに「海馬硬化(海馬が委縮し変性した状態)を伴う内側側頭葉てんかん」では、病変が左右どちらか片方だけの場合は、海馬を含む側頭葉内側構造を切除することにより約80%の症例で発作が消失すると言われているので、今でも外科的治療が選択されることが多いです。

海馬は、記憶を作るのに必要な役割を果たしていますので、海馬を切除された後に記憶障害が起こるのですが、右よりも左の海馬を切除した時の方が術後の障害が重いようです。

恋人には左側から話しかけるべき?右脳・左脳関連の話に科学的根拠はあるのか」で紹介したように、およそ90%の人は左半球に言語中枢があることから、左の海馬の方が主に言語に関連した記憶を担当しています。そのため、言語を主なコミュニケーション手段としている私たち人間にとっては左の海馬を失った方が影響が大きいと考えられます。
 

マウスを用いた実験では、ミクロレベルの左右の海馬の違いも

2003年に、九州大学の研究グループが、アメリカの権威ある学術誌『サイエンス』に、「マウスの海馬のシナプスにあるグルタミン酸受容体の量に左右差がある」という研究結果を報告をしました(Science, 300(5621):990-994, 2003)。海馬の神経回路における主な興奮性の神経伝達物質はグルタミン酸で、その情報を受け取る受容体にはいくつかの種類がありますが、そのうちNMDA型受容体と呼ばれるサブタイプを構成する「NR2B」というタンパク質の分布に明らかな左右差があったのです。このタイプの受容体は、海馬における記憶形成に関わることがよく知られているので、左右の海馬で記憶を作るしくみに違いがあるかもしれないと考えられました。

同じ研究グループの篠原良章博士(生理学研究所、理化学研究所)はさらに実験を進め、左右の海馬でシナプスの形や大きさが違うことも見出しました(Proc Natl Acad Sci USA, 105 (49):19498-19503, 2008 )。また、そのシナプスの形や大きさの違いが、グルタミン酸受容体の量と種類の違いに関係していることも分かりました。
 

右の海馬は環境の影響を受けやすい? 左右の海馬の育ち方の違い

海馬の左右差に興味をもった理化学研究所の篠原博士は、2013年に「海馬の発達に対する環境の影響に左右差がある」という実験結果も報告しています(Nature Communications, 4: 1652, 2013) 。生後3週~6週目のラットを1匹だけでケージで飼育する「隔離飼育群」と、遊具を入れたケージで集団飼育する「豊かな環境飼育群」とに分け、左右の海馬領域の脳波活動とシナプス密度を比較したところ、左よりも右の海馬における脳波とシナプス密度が豊かな環境によって増えることが分かったのです。右の海馬の方が環境の影響を受けやすいのかもしれません。
 

海馬の左右差は想像以上! 神経連絡でうまくバランスを取って機能

海馬には、想像していた以上に、左右差がありそうです。とくに、ミクロレベルで、シナプスの構造や受容体の分布にはっきりとした差があるという研究データは、興味深いですね。ただし、上で紹介した知見は、注意して解釈しなればなりません。

まず、すべてマウスやラットというネズミでの観察なので、私たち人間にあてはまるかどうかは分かりません。

また、実験を行うにあたって、左右の海馬の神経連絡を絶って観察していることも見逃してはなりません。左と右の海馬は独立しているわけではなくて、「脳梁」(参考記事:男性脳・女性脳は違うのか?右脳と左脳をつなぐ脳梁の性差と真偽」)に含まれる「交連線維(commissural fiber)」を通して左右間の連絡をとっていますが、もともと左右の海馬が持ち合わせている特性を知るために、実験ではあえて交連線維を切断して、お互いが干渉しない条件で認められた結果が示されているのです。ちなみに、左右の神経連絡がちゃんとある自然な状態では、海馬のシナプスや受容体の分布に大きな差は見られなかったそうです。

つまり、「もともと左と右の海馬はそれぞれ違う性質をもっているが、左右間で連絡をとりあうことで、しっかりバランスをとって差がないように機能している」とみなすのが正しいでしょう。
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