まるで自分を見ているよう
「どうしてあれほど余裕がなかったのか、今になると不思議。あのドラマの吉田羊さんを見ていると、ああ、私もこうだったなと思うんです」そう言うのはサキコさん(46歳)だ。27歳のときに6歳年上の男性と結婚したものの、同居した義両親との関係がうまくいかず、なおかつ夫にそれを罵られ続けて心身ともに疲弊し、家を出たのが34歳のときだった。当時、5歳の長女は連れて出たが、2歳になったばかりの長男は婚家にとられたまま。離婚届を書いたら100万円を投げつけられた。心の中でいつか息子を迎えにいくと誓ったものの、娘とふたりの生活でさえ大変だった。
「私はいろいろ事情があって実家とは縁が切れていたので、独身時代からの貯金数百万だけが頼りでした。結婚後は友人との関わりもなかったし、そもそもあまり社交的ではなかったし。まさに孤立無援という感じでした」
行政を頼るという発想もなく、かつて暮らしたことのある東京近郊の街に舞い戻って不動産屋をあたった。
「どこも子連れ無職の女には貸してくれなかった。ただ、何軒目かの不動産屋で、『あんた、昔、そこの喫茶店でバイトしてなかった?』と言われたんです。見たらなじみのお客さんだった人。ぽつりぽつりのその後の人生を話しているうち、その不動産屋さん所有のアパートを貸してもらえることになった」
あとは働くだけ。早朝から夕方まで働き、娘が小学校に入ってからは夜中のスナック勤務までトリプルワークの時期もあった。
「正直言うと、ときどき娘が邪魔だと思うことがありました。婚家に置いてきたほうが娘にとっても幸せだったんじゃないか、と。経済的に常に苦しいから、再婚してしまいたい。だけど再婚するにも娘が邪魔……って」
ドラマの中で、吉田羊演じる母親が娘の小学校の運動会に行くと言いながら、その時間に男とデートをするシーンがある。時間を気にしながらも、男と別れて学校に駆けつけることができない。そのうち運動会が終わる時間になってしまい、どうにでもなれと思ってしまうシーンを、サキコさんは泣きながら観たという。
「娘のことはかわいいと思っているんですよ。だけど一方で、娘への責任から逃れたい、誰かに楽にしてもらいたいと願ってしまう。あの気持ち、本当によくわかります」
サキコさんの目が潤んだ。あの頃のことは今でも心の中で娘に手を合わせたくなるという。
それでも時は過ぎていく
再婚もできず、いつも疲れていたサキコさんだったが、娘が小学校を卒業すると少し事情が変わっていった。「スナックの常連さんから頼まれると夜食を作っていたんです。それがおいしいと言われるようになって。子どものころから褒められたことなどなく、いつも暗い顔してスナックで洗い物をしていただけなんですが、夜食がおいしいと聞いて来たと言ってくれる人も出てきたんです」
近所の定食屋のオーナー夫妻が高齢になり、誰か継いでくれる人がいないか探しているという話がスナックのママを通じて舞い込んだ。もちろんサキコさんに買い取るような資金力はないが、今はまだ働くだけでもいいという。
「そのころには私、周りの人たちの温かさに気づいていたんだと思います。生まれ育った家庭でかわいがってもらえず、婚家でいたぶられて、いつも『私なんて』といじけていたけど、周りには優しい人たちが多かった。だからその話に乗らせてもらうことにしたんです」
中学生になった娘も時間のあるときには手伝ってくれた。試験時期には店の奥の部屋で勉強をしていることもあった。
「前から働いているパートの女性とも馬が合って……。人生、ここからやり直せるのかもしれないと感じました。特に娘は私の支えだった。オーナー夫妻も娘をかわいがってくれました」
人生は、ずっと同じ状況ではないんだとサキコさんは改めて感じたという。状況や環境が変われば人も変わる。自分自身、誰も信じられなかったときより、今のほうが優しい顔つきになっていると思うそうだ。周りの温かさに自然と心を開くことのできた環境に、どんなに感謝してもしきれないと涙ぐんだ。
「娘はこの春から大学生。私はもうちょっとがんばって、いつかこの店を買い取れたらいいなとは思っています。気になっているのは息子のこと。今年中学を卒業しますが、元気でいるのか……」
生きていくために「地の底を這いずり回った」サキコさんだが、あのころのどうしようもない焦燥感や苛立ちは、今も鮮明に覚えている。
「シンママたちが孤立しないような世の中であればいいですよね。最近、手伝ってもらっているのもシンママなんです。私が周りに助けられたように、今度は私が誰かを少しでも手助けできたらいいなと思って」
孤立は人を頑なにする。孤立したくないのに、どうやって人と接触したらいいかわからないまま苦しんでいる人もいるはずなのだ。