そもそも17年に結婚してから、専業主婦として夫を支えることに専心してきた彼女だが、今は3歳と1歳の子どもとも離れて、栃木県のアパートで単身暮らし、練習に明け暮れているようだ。やり残したことをなんとかしてやり抜きたい。そんな彼女の思いが行動への後押しとなったのだろう。
どうしても大学への思いが消せなくて
「短大で勉強していた若いころ、卒業したら4年生大学に編入するつもりで準備を進めていたんです。でも直前に父が亡くなって。両親は飲食店を経営していたので、私がやるしかなくなってしまった。高校生の弟はちょうど受験の時期にさしかかっていて頼れなかったし」短大2年生のときにそんな経験をしたミチヨさん(44歳)。店に出ながら、短大はなんとか卒業、そのまま店に専心することとなった。
「27歳のとき、店の常連だった会社員と結婚。彼は私が店を続けることも理解してくれていました」
28歳のとき双子を授かり、彼女は店に立つ時間がなくなっていった。同い年の夫は「僕が会社を辞めてもいいよ」と言った。
「夫は料理が上手なんですよ。店で出す新しいメニューも夫が考案してくれたものが多い。そうか、夫が店をやってくれればいいんだと、母も私も目から鱗で。会社員のほうが安定はしているけど、夫は特に思い入れもなかったようです。『前から会社員は向いてないなと思っていたんだ』と。店の経営に参加するにあたっては、うちの母を立てるからとまで言ってくれました。店目当てで結婚したと思われたくない、と。私たちはそんなふうに思っていなかったから、逆にびっくりしましたけど」
夫と母、ときにミチヨさんが協力し、全力で店を続けた。店は軌道に乗り、アルバイトも雇えるようになっていく。
「生活が落ち着き、子どもたちが学校に入ったころ、私、何かし残したことがあるなと心がざわざわするようになった。大学進学です。どうしても進学したい、少しでも若いうちに。そうは思ったけど、あまりに身勝手ですから言えなかった。でもなんとなく沈んでいたんでしょうね、夫が『なんか心配事でもあるの?』と聞いてくれたので、本心を打ち明けました」
夫はしばらく考えていたが、「思い残しのある人生はよくない。いいよ、行けよ」って。そこから必死で勉強して、ある大学の3年生に編入、2年間で卒業した。だがその間は、母も夫も、そして自分も大変な思いをしたと言う。
「あれほど大変だったのだから、大学卒業で満足してはいけないと、そのあと大学院に通いました。今はその経験を活かして、会社勤めをしているんですよ。会社員だった夫がうちを継ぎ、うちを継いでいた私が会社員になるという……(笑)。人生っておもしろいものですね」
家族にもいい効果が
子どもたちももう高校生になった。「あのころ、ママがあまりかまってやれなくてごめんねと言ったことがあるんですが、子どもたちは気にとめていなかったようです。かえって口うるさく言われなくてよかったと言われて笑いました。店と自宅が近いから、母も夫も子どもたちのことはきちんと見てくれていたし、私も夕食は必ず子どもたちととるようにしていたので、なんとかしのいできたという感じ」
あのとき思い切ってよかった、自分の人生を諦めなくてよかったとミチヨさんは微笑む。もしかしたら、大学進学はもっとあとでもよかったのかもしれない。だが、「今だ」と思ったときがやはり「挑戦すべきとき」なのではないかと彼女は言う。
「状況によるから、何が何でも今だと突っ走ればいいというものでもないかもしれない。私の場合は、それが許されただけですから。でもやり残したことがあるなら、時期はいつであっても挑戦したほうがいい。そう思います」
夫には「やり残したこと」はないのだという。それよりもっと料理の勉強がしたい、前向きにもっといい店を作りたいという欲求が強いそうだ。
「店が休みの日は、よく夫と食べ歩きをしています。おいしいものを食べて、うちにもそれを取り入れられないか、夫はいろいろ研究しているようです」
それぞれが自分のやりたいこと、やるべきことを考えて、相手を認め合いながら暮らせるのは幸せなことだとミチヨさんは言う。
「70歳の母が、源氏物語を読みたいと言いだし、カルチャーセンターに通い始めました。母が店のこと以外に目を向けたのは初めて。すごく楽しいみたいです。母にとっては、源氏物語を自分の力で読みたいというのがやり残したことだったようです」
家族がそれぞれの気持ちを大事にしながら協力しあう。「きれいごとみたいですけど、うちは夫婦げんかをしたことがないんです」とミチヨさんはにこやかに言った。