「モテる」「モテない」にこだわるのは、自信がないからかも?
不特定多数にモテることは、あまり意味がないことを理解する
基本、付き合う相手は1人なので、たくさんの人にモテても意味はありません。もちろんより多くの人に「素敵な人」だと思われることは、いいことです。でも、恋愛対象として見られるようになったときは、必ずと言ってもいいくらいに、相手は「パートナーになってほしい。もっと自分の要望に応えてほしい」と思うもの。見返りを求めない“無償の愛”をただただ注いでくれる人なんて、少ないですしね。でも、自分は1人しかいないので、たくさんの人の要望に応えることはできません。そうすると、相手が「可愛さ余って憎さ百倍」状態になって、むしろ嫌われてしまうこともあるでしょう。
また、人からの要望に応えられないと、心苦しさを感じる人は少なくありません。それは意外とストレスになるのです。だから、不特定多数にモテようが対応しきれないので、あまり意味がないことも多いのです。
自分に自信がないから、モテたがっていることに気づく
本来は、“自分が一番好きな相手”から好かれることが、幸せなものです。でも、「不特定多数の人にモテたい」という、本当に必要としている以上のものを欲しがる人は、大概、心の中に問題を抱えていることが多いものです。つまり、多くの人にモテたがる人は、自分にどこか劣等感を抱いているからこそ、「自分の価値を上げたくて、多くの人に愛されたがっている」ことが多いのです。モテることで、「自分には価値があるのだ」と、証明したいところもあるのでしょう。
逆に、自分を肯定できている人は、わざわざモテようとは思いません。人に求愛されなくても、自分で自分の価値を認められているからです。それに、相手の要望を断らなくてはいけないので、「モテる=面倒臭い」と思うことすらあるくらいです。
そうであるにもかかわらず、自己肯定できている人のほうが、たたずまいや言動に自信が溢れているので、モテやすくなります。だから、モテることを目指すよりも前に、自分に自信を持てるようになったほうがいいのです。
“他人軸”を卒業しよう。自己を肯定し「本来の自分」でいることが大切!
人にモテることばかり考えてしまうと、相手に気に入られようとして、“他人軸”で生きてしまうので、どんどん自分をおざなりにしてしまい、苦しくなってきます。つまり、たとえモテても、幸せになれないのです。それに相手に好かれるために「素敵な人間」を演じ、その結果“演じている自分”に好意を向けられたとしても、“本当の自分”ではないので、うれしくもなんともないもの。むしろ心の中では、「本当の自分を誰も分かってくれない」「本当の自分だと、愛してもらえない」と、さらに劣等感を深めてしまうことがあるのです。
だから、本来は、自己をしっかり磨き、“自分が納得できる人”になるまで成長し、「今の自分を素敵だと思わない人は、見る目がない」くらいに思えるほど自信が持てるようになったほうが、幸せでいられます。
そして、それくらい“自分を持っている人”になったときに、「付き合いたい」と思ってくれる人こそが、自分にとって良き理解者となり、最高のパートナーになり得るのです。そういう素敵なパートナーに出会えたら、他の人にモテることなど、大した意味はないことになるでしょう。
もちろん、パートナーがいなくても、今の自分に納得し、肯定できている人であれば、幸せでいられます。そのときは、パートナーがいないことに対してコンプレックスを抱かないことも多くなるでしょう。それくらい「自己を肯定し、“本来の自分”でいること」が、モテる、モテない以上に、幸せに生きるためには大切なことなのです。
つまり、「自分を演じてでも、とにかくモテたい!」という人ほど、幸せな生き方とは「真逆の方向」を進んでしまっているということ。モテないことを気にせず、自分らしく生きていきたいものですね。