亀山早苗の恋愛コラム

独居の実母を引き取ったらイライラの連続…20年以上も離れて暮らせば、実は知らない“母という人”

女性のほうが長生きのせいか、父親が亡くなり、母親が一人暮らしになっている世帯は少なくない。娘も気を遣って同居を呼びかけることもある。だが、「母娘だからなんとかなる」は甘いのかもしれない。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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実母との同居がうまくいかず、夫婦仲まで危機に

実母だからといって何でも知っているわけではない

イラスト:poko(@daccho_poko

女性のほうが長生きのせいか、父親が亡くなり、母親が一人暮らしになっている世帯は少なくない。娘も気を遣って同居を呼びかけることもある。だが、「母娘だからなんとかなる」は甘いのかもしれない。

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仲のいい母娘だったのに

3年前、実家の母を引き取って同居し始めたユリアさん(44歳)。彼女自身は4歳年上の夫と結婚して17年、高校生になるひとり娘がいる。

「実家は私たちが住んでいる自宅から3時間ほどかかる地方都市。7年前に父が亡くなったとき、母は65歳でした。弟がいるのですが、遠方にいるのと母が『お嫁さんと暮らすのは絶対に嫌』と言ったので……。まだ当分ひとりで暮らせるとは言っていたけど、持病もあったので私が心配でたまらなかったんです」

ユリアさんは、昔から母親とは仲良しだったという。だからひとりで生活する母がしのびなくてたまらなかった。

実家は借家だったし、父が長く煩っていたので貯金や資産はほとんどなかった。少ない年金でこれからをどうやって生きていくのか。それも心配の種だった。そんな彼女を見て、夫も娘も「来てもらえば」と言ってくれた。

「うちは夫の親の持ち家を改築して住んでいました。都内が近いわりには比較的広くて、4LDKの1戸建て。納戸代わりにしている部屋を片付けて、母を迎えたんです。自分の母親だし、性格もよくわかっているし、同居にあたっては何の心配もしていませんでした。だけどそれが甘かったんです」

ユリアさんは急に顔を曇らせた。

 

母の依存ぶりに辟易

父が亡くなってから母はひとりで生活していた。一人暮らしにはすっかり慣れているはずだった。

「同居を始めたとき、私は母に『好きなように生活して。おかあさんはまだ若いのだから、自分のことは自分でやってね。そのほうが気を遣わないからいいでしょ』と言ったんです。すると母は急に涙ぐんで……。『そんな突き放すような言い方をしなくてもいいでしょ』って。あれ、おかしいなと思いました。私の知っている母は、家族の面倒見がよくて、朝から元気な人だった。だけど考えてみたら、私は18歳で東京に出てきたから、実家で母と暮らしていた時間より東京近辺にいる時間のほうがずっと長くなっていたんですよね。それ以降の母のことは断片的にしか知らないわけですよ。もしかしたら早まったかもしれないと思いました」

ユリアさん夫婦は共働きだ。一人っ子の娘が家でひとりにならないよう、夫婦は協力して家庭をうまく回してきた。日曜日には家族で料理をして常備菜を作ったり冷凍しておいたりという作業も楽しんできた。

「母を引き取ったのは、偶然、私が異動で新しい仕事に取り組むことになった時期だったんです。言い方は悪いけど、万が一、残業になっても母を頼れるかもと思っていたところもありました。でもそれは裏目に出ましたね」

母はどこが悪いわけでもないのだが、環境が変わったせいか、久しぶりに娘と同居したせいか、どこか気が緩んでしまったよう。外へ出ればとすすめても、1日中、自分の部屋にいることが多かった。

「たまには夕飯を作ってくれないかなと言ったこともあります。母になにか役目をもたせないと頭も体もぼんやりしてしまうと怖かった。すると母は、『今さら4人もの料理を作るのは無理』とあっさり諦めモード。田舎からもってきた小さな炊飯器でご飯をたいて、梅干しとか漬物なんかで食事をすませてしまう」

見るに見かねて、ユリアさんは極力、残業をしないようにして母親の食事を用意することにした。どうしてもできないときは娘に頼んだが、娘も勉強や部活に忙しい。次第にユリアさんは母親を疎ましく思うようになっていく。

「家にいるなら、少しは家のことをしてよと言ったこともあります。すると私の家じゃないからどうやったらいいかわからないと。よそ者気分が抜けなかったんでしょうね。遠慮といえば言えるけど、そうやって遠慮することで自分を構ってほしいというのがわかるから、私は常にイライラしていました」

当たり所がないので、つい夫に八つ当たりすることも増えた。あんなに仲のよかった3人家族にヒビが入っていくのが目に見えるようだった。

「2年ほどがんばりましたが、とうとう私が心身ともに疲弊して倒れてしまった。有給を使って乗り越えましたが、退院後、母とじっくり話し合いました。でも母は、『私は家事をするために来たわけじゃない』と。何が望みなのかと聞いたら、『早く死にたい』と言い出して。こっちだって寂しいだろうと思って引き取ったのに……。気が強いようで、意外と人見知りなので近所の人にもなじめない。夫が町内の老人会に声をかけて、誘ってもらうようにしたんです。それでもなかなか家から出ようとしませんでした」

別居しようとも考えたが、昼間は母ひとりなのでアパートを借りる意味がよくわからないという状況。ユリアさんは、家で何もしないままひとり過ごしている母が心配なのだが、それがイライラにつながってしまうのだ。

「うちはどうしても夕飯が7時半を回ってしまうのですが、母はそれも不満だったみたい。だから冷蔵庫にあるものは好きに使っていいし、常備菜も勝手に食べていいから、自分の夕飯は自分で支度して、栄養のあるものをきちんと食べて、といくつか条件を出しました。私を心配させないで、仕事もあるし娘のこともあるから、おかあさんだけにかまっていられないと正直に言うと、母はまた泣き出して。寂しいなら友だちを作って、と突き放してしまいました」

その後、コロナ禍になって夫もユリアさんも家で過ごす時間が増えた。とはいえ昼間はそれぞれ仕事をしている。母はときどき、お茶をいれてくれるようになったが、間が悪く会議中に運んできたりするので、それもうんざりさせられた。

「ただ、夕食だけは早めに用意することができるようになったので、週に4日くらいは母を交えて食べています。でも私と母の間にはほとんど会話がありません。夫は『もう少し優しくしてやれよ』と言いますが、どうしてもぎくしゃくして……。もともと仲がいいつもりでいたけど、母とは実は相性がよくなかったのかもしれない、私が子どもだったからなついていただけかもしれない。最近はそんなふうに思っています」

母は彼女が高校生のときまでしか知らないのだ。娘もまた、40代前半くらいの母しか知らない。離れて暮らしているうちにお互いに変わっていく。それを許容しあえないのだろう。このままだと夫婦関係も危うくなりそうだと、ユリアさんは解決法を探っている。

 

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