子育て

コロナ禍での児童虐待を描いた「みえないランドセル」、子育て中の脚本家の思い

コロナ禍における児童虐待をテーマにした舞台「みえないランドセル」が、2021年5月13日~23日、こまばアゴラ劇場で上演される。演劇ユニット「Ring-Bong」の代表で脚本家の山谷典子氏に、作品に込めた思いを聞いた。

福田 由紀子

執筆者:福田 由紀子

臨床心理士/メンタルケア・子育てガイド

コロナ禍の「今」を描きたかった

プレイベント

演劇集団Ring-Bong「みえないランドセル」プレイベントより。緊急事態宣言により公演が1月から5月に延期されていた。


コロナ禍に生まれ、コロナに翻弄され続けた芝居がある。舞台「みえないランドセル」は、コロナ禍における児童虐待をテーマにしたもの。三度目の緊急事態宣言の延長で公演中止の瀬戸際に立たされたが、観客数を50%に抑え、感染対策を徹底の上、どうにか上演できることとなった。2021年5月13日、こまばアゴラ劇場にて初日を迎える。
 
脚本を手掛けた山谷典子氏(45)(以下敬称略)は、文学座所属の俳優であり脚本家。今回の舞台は山谷が代表を務める演劇ユニット「Ring-Bong」が上演する。アフタートークゲストには、大日向雅美氏、信田さよ子氏、杉山春氏と、児童虐待に詳しい専門家の顔ぶれが並ぶ。

子育て中の脚本家が、作品に込めた思いを聞いた。

 
山谷典子氏

脚本家の山谷典子氏。高3の時に演劇の道を志す。親と教師の反対を押し切って狭き門である文学座の研究所に入所した。

約束の時間通りにZoomの画面に現れた山谷は、髪を後ろで束ね、理知的な額を見せていた。直前までスタッフと打ち合わせをしていたとのことだが「お母さん」に見えるのは休日の自宅だからだろうか。3歳の息子はパパと公園に出かけているという。

「コロナ禍の今だから書いたんです」と山谷は話し始めた。物語は、コロナ禍が2年目に入った今年3月から来年の春までを駆け抜ける。

 


 

「みえないランドセル」あらすじ
 
私、いいお母さんになりたかった……
 
2021年3月。東京の住宅地にある小さなパン屋。パン屋の奥につながるアパートに住む高梨遥は、出産間近まで検診を受けずにコロナ禍の中で出産。
 
シングルマザーの遥は、赤ん坊と二人きりの生活であり、自粛期間もあったとはいえ家に閉じこもったまま出てこない。
 
心配した助産師の雪が、遥の家を訪問すると、10カ月にもなる赤ん坊はうつぶせのまま動いていなかった。救急車を呼ぶ雪、パン屋の人々。事故か、虐待か……。
 
コロナの中で人と人とのつながりを絶たれる私たちが、今、できることとは……。

 

街から消えたランドセル

「みえないランドセル」というタイトルは、去年の春の日本の風景を切り取ったものだ。安倍首相(当時)の突然の要請による全国一斉休校で、街から子どもの姿が消えた。子どもたちがはしゃぐ声も聞こえなくなった。そして、ランドセルが置かれたままの家の中で、児童虐待やDVが急増した。
 
弱者である子どもにしわ寄せがいっていないか。人と人とが分断された今、虐待はどうすれば止められるのだろう。地域で何ができるのだろう。それらの疑問が、山谷が脚本に取り組む動機となった。
 
「不要不急の外出自粛」で人と会う機会が減り、自宅でひとり赤ちゃんと向き合うママたちが増えた。子育て支援のイベントは軒並み中止。ママ友を作るチャンスもない。慣れない子育てに悩む母親が孤立し、産後うつは急増した。山谷が描いたシングルマザーの主人公は、そんな母親のひとりである。
 
山谷自身も悩みを抱えた。稽古場に行けないもどかしさを抱え、子どもに邪魔されているという思いが頭をかすめる日もあった。「子どもとふたりでいるのに、余計にひとりぼっちな気がするんです。世の中からはじかれている感じがする。ネグレクト(養育放棄)する親は、ひとりが怖くて、子どもを置いて誰かに会いに行くのかも」
 

泣きながら書いた脚本

山谷が虐待について調べ始めたのは、初めての育児に右往左往していた2年半前にさかのぼる。野田市や目黒区の虐待死事件が連日ニュースを賑わしていた。「子育て中の今だから書けることがあるのでは、と言われて、児童虐待に関する勉強を始めたのですが、きつくて」と苦笑する。
 
文献を読み、様々な専門家に取材する中で、ハッとさせられた一言があった。「子どもは待つことしかできない」という言葉だ。「親がいなくて不安という感情は、子どもの頃に誰もが経験したことがあるのではないかと思います。例えば、迷子になった時。親がどこにもいない、自分はどうしたらいいのかわからない。誰に助けを求めていいのかもわからなくて、泣きたくなる気持ち。ネグレクトされている子どもは、そんな思いを毎日味わっているんですよね。お母さんがドアを閉めた時、子どもはどんな気持ちになるんだろう」
 
我が子を虐待している主人公の女性は、6歳まで虐待を受けて育ったという設定にした。虐待の連鎖について書きたかった。連鎖は止められるということも。子どもの育ちに必要な愛情は、母親じゃなくても与えられるということも。
 
資料を読みながら何度も号泣した。他人事とは思えなかった。泣きながら脚本を書き、寝ている息子のにおいを嗅いで気持ちを落ち着かせ、また書きながら泣いた。
 
夫との家事や育児の分担について尋ねると「どうしても母親である私の負担が大きくなるけれど、結構やってもらっている方だと思います」。そして、一瞬黙りこんだあと「ふたりの子どもなのに、夫にやってもらっている、という感覚もどうなんでしょうね」と呟いた。
 

子どもの泣き声におびえるママたち

真面目なママほど、子どもの泣き声に敏感だ。子どもの要求に応えられないことが歯がゆくて自分を責める。子どもの泣き声に追いつめられる。山谷もまた、子どもが泣くたびに混乱し、自分を責めた。「なんで泣くのかわからない。抱っこの仕方が悪いのかな、母乳が足りないのかな、自分はだめな母親じゃないのかなって」
 
しかし、その疑問は息子がおしゃべりを始めると氷解した。「水じゃなくて、お茶がいいのよ」という息子の言葉に、そうだ、赤ちゃんは喋れないから泣くんだ、と一気に腑に落ちた。私が悪いわけじゃなかったと。子育て中の母親としての実感や愚痴の数々は、劇中のセリフに書いた。
 
「何かが起これば母親が責められるから、完璧じゃなければいけないと思ってしまう。まじめに頑張ってきた人が、よい母親であることをあきらめた時に虐待が起きることもあるのではないでしょうか」。思い通りにならない無力感から、ある日いきなり放り出してしまう。生活をリセットしようとするのではないか。その洞察は、山谷もまたギリギリのところを踏ん張ったことがあるからだろう。
 

子育て中の母親に必要なのは、人とのつながり

「いい加減に子育てしている人が周りにいると楽なんですけど、自粛生活で情報がネットに偏ってしまっていますよね。ネットで得られる子育て情報はあくまで一般論なのに、それに自分たちを合わせようとしてしまう。情報の多さにかえって混乱することもあると思うんです」
 
山谷の子育てを支えたのは、自身が子どもの頃の記憶だった。「お母さんがこうしてくれたから大丈夫」という実体験。しかし、母親から適切な養育を受けられなかった子どもたちが親になった時、母親のモデルはいない。そこを社会はどう補完できるのだろうか。
 
「私は保育園の先生と相談しながら子育てできたし、母や従姉も身近にいてくれたので助かりました。時代によって子育ての方法も変わるから、同世代のママたちや保育の専門家とのつながりも必要。愚痴を言える人が必要。私は恵まれていると思います」
 
「あ、でも」と、山谷は首を傾げ「私は恵まれている、と思うことが母親を追いつめることもあるかもしれませんね」と視線を落とす。山谷にも自分を責めた日があった。泣きながら脚本と格闘した日々があった。母親が、つい人と比較してしまうのは何故なのだろう。
 

おしゃべりするだけで救われる

ソーシャルディスタンスが求められる世の中で、人との距離が広がった。「ただおしゃべりするだけで救われるのに」と山谷は言う。
 
コロナ感染への不安は「自粛警察」や「マスクポリス」を生んだ。人々が寛容さを失った、かさついた毎日が続いた。子どもを連れて買い物に行くと睨まれる。幼い子をひとり家に残しておけというのか、という母親の悲鳴のような訴えも珍しくなかった頃、山谷にある出来事が起こった。
 
「息子が1歳の頃、電車で派手に泣き始めたんです。周りの視線が気になってオロオロして、泣き止ませようとするけど、全然泣き止まない。そんな時、隣に座っていた女性が鞄を探り始めたんです。責められる、と身構えた時、彼女は鞄からシールを取り出して『これで泣き止むかな?』と息子に差し出してくれたんです。うれしかった。救われた気持ちになりました。もしもあの時、舌打ちでもされていたら、電車に乗れなくなっていたかも」。電車で乗り合わせただけの他人の些細な言動に心が揺れる。それほどの不安と孤独に、周囲は気づいているだろうか。
 
主人公の母親を取り巻く人たちは立場も価値観も様々で、ぶつかり合いながらも対話を重ねていく。子どもの安全を守るために。母親に笑顔が戻るように。
 
「おしゃべりができたら、大抵の問題は解決すると思うんです。愚痴を言いたい。ただ聞いてほしい。子育ての仕方を教えてもらいたいんじゃなくて、今大変なんだと知ってほしい、頑張っていることを認めてほしいんですよね」

ママたちが気持ちを吐き出せる「安全な場」を地域に作ることが、社会の課題だと山谷は考えている。コロナ禍においても。いや、コロナ禍だからこそ。
 

物語は心の栄養になる

今回の作品をどんな人に見てもらいたいですか、という質問に、山谷は端的に答えた。
 
「余裕をなくしている人」
 
余裕のない人に観劇はハードルが高くないだろうか。しかもテーマは児童虐待である。しかし、山谷は微笑んで言った。「物語は心の栄養になります。舞台を見た後は、周りの人と普段しないようなおしゃべりができます。演劇は、ひとりひとりに自分の物語があることに気付かせてくれる」
 
政府や東京都の方針によっては、上演を見合わせることになるという状況の中、練習を重ねてきた。「大会前のアスリートがコンディションを調整するように、役者たちの仕上がりも上々です」と笑顔を見せる。
 
客席規制でチケットも限られているが「舞台は生もの」だから、ぜひ劇場に足を運んでほしい。しかし、多くの要望を受けて6月末にオンラインで配信することも決定した。この作品は、コロナ禍を生きる今こそ、見るにふさわしい。
 
今まさに子育て中の脚本家が描いたコロナ禍における児童虐待。長く続く閉塞感の中、山谷が泣きながら紡ぎ出したセリフの向こうに、一筋の希望が見えるはずだ。

 
練習風景

公演を前に、練習にも熱が入る。


公演情報:演劇集団 Ring-Bong「みえないランドセル」
     2021年5月13日(木)~23日(日)
     こまばアゴラ劇場(東京都目黒区)
映像配信:6月末に予定(後日ホームページで案内)

問合せ:080-4080-8736(平日12:00~17:00)
 
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