再婚した夫と一緒のお墓に入れない
「夫と一緒のお墓に入れない」という人もいる
ユキさんは20代で結婚し一人娘がいますが、その夫とは離婚し、50代で孝弘さんと再婚しています。孝弘さんも再婚なのですが、前妻とは死別。前妻は関口家先祖代々の墓に入っていました。孝弘さんもまた、そのお墓に納骨される予定です。
「私は今の夫と一緒のお墓に入れないと思う」とユキさん。関口家の墓は、前妻との間の子である長男が継ぐことになっています。長男と血のつながりもなく、さらに孝弘さんの両親も知らないユキさんは、関口家のお墓に自分が入るイメージが湧きません。仮に長男が「同じお墓に」と勧めてくれたとしても、前妻と同じお墓に入るのには違和感を感じてしまうのは当然のことでしょう。
姑と同じお墓は死後の拷問
田口ヨウさん(80歳女性・仮名)は先日、田口家の墓に亡き夫、雄三さんの遺骨を納めました。「私は田口家のお墓には入らないから」。雄三さんにはずいぶん前からそう告げていたそうです。「一緒のお墓に入らない」と宣言された寂しさはあるものの、これまでの経緯からいたし方ないと思っていたそう。
ヨウさんは、結婚して田口家の嫁として嫁ぎ先の両親と同居をしていましたが、過去に嫁姑の間で大変な苦労があったといいます。昔の話といってしまえばそれまでですが、何年経っても自分の気持ちに整理がつくことはなく「私が死んだら遺骨は海に散骨してほしい」と息子たちに伝えています。
「夫には悪いと思っていますが、一緒の墓に入ることで自分の死後まで婚家から監視されたり疎まれるのは御免。海へ散骨したいというより、とにかく田口家の墓には絶対に入りたくない。そのことを息子たちにはわかってほしいだけ」と田口さんは言います。
「妻が夫の家墓に入る」慣習が成り立たなくなっている
このように、結婚・離婚・再婚で家族関係が複雑になったり、家制度の崩壊、お墓に対する考え方の多様化などにより、妻が夫の家墓に入るという慣習が近年、成り立たなくなっています。お墓に関する法律については「墓地、埋葬等に関する法律」を根拠法としていますが、ここでは「埋葬または焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」とあり、どこに納骨しなければいけないという決まりごとはありません。自分でお墓を建てることもできますし、実家のお墓に入ることも可能です。
しかし、自分がどんなに強い意志をもっていても、自らそのお墓に入ることはできません。生前にお墓を建てても、死後のことを誰かに託さなければ納骨されることはありませんし、さらに維持・管理まで託しておく必要があります。また実家のお墓に入るためには名義人の許可が必要となりますので、希望しておけば入れるとは限らないのです。
前述の田口ヨウさんにしても、死後の遺骨の行方については、自分の希望を100%確実に実行してもらう方法はありません。どんなに遺言書に具体的に書き残しても、効力があるのは「祭祀承継者の指定」まで、つまり誰に遺骨を託すか指定するところまでで、遺骨を「〇〇に納骨してほしい」「散骨してほしい」といった要望までは拘束されないのです。
墓守がいなくても入れる永代管理墓
関口ユキさんの場合、関口家の墓を継ぐ立場にある長男と相談し、夫の一部を骨壺から取り出して分骨することになりました。「晩年、父が元気で暮らせたのはユキさんのおかげで感謝している。死後別墓になってしまうのは父にも申し訳ない。ユキさんなりの方法で弔ってほしい」という長男の配慮もあって、分骨された孝弘さんの遺骨は、現在ユキさんの仏壇に安置されています。
ユキさんの一番の希望は、お墓を建てること。しかし実の娘は他家に嫁いでいるため墓守を押し付けるわけにもいきません。そこで候補に上がっているのが永代管理墓(永代供養墓)です。
東京都立霊園「小平霊園」の合葬式の樹林墓地。こちらも継ぐ人がいなくても入れる永代管理システムになっている。
〇〇家として守っていくお墓の場合、墓地区画の使用料を払い、管理費を納め続けることで、そのお墓を子々孫々引き次いでいくことができ、子孫が先祖の遺骨を管理・供養していきます。一方、永代管理墓は、次世代へ引き継ぐ人がいなくても購入することができ、遺骨は寺院などの管理者が守っていくことになるわけです。
お墓の形や納骨方法に決まりはありませんが、比較的安価な合葬タイプの永代管理墓が人気です。ユキさんは、現在都内某寺院内にある永代供養墓を検討しています。1柱(1人)分で50万円。分骨とはいえ2柱(2人)分となると、それなりに費用はかかってしまいますが、再婚相手である夫と死後も同居できることに安堵感のようなものを感じています。
多様化する死後の選択、逝く側と送る側のギャップを埋めることが大切
女性の社会進出や自立が進むことにより、個人の自由な選択が尊重されるようになりましたが、それは死後の世界にも変化をもたらしています。さらに「継ぐ人がいない」「遠方の墓を守っていくことが難しい」といった悩みが多くなり、日本の墓承継システムの基盤がぐらつき、「墓不要論」を唱える人もいます。しかし「墓は面倒」のひと言で、亡き人や先祖に思いを馳せる機会を失くしてしまうのはあまりにも残念です。
弔いの方法は時代とともに変化するのは当然でしょう。それぞれの事情や多様化する要望に対する受け皿も整ってきています。
ただし逝く側の思いと送る側の思いが同じ方向を向いていないと、互いにギャップを感じて負担になることもあるので要注意です。どのような葬送方法にせよ「なぜ自分はそれを望んでいるのか」を伝え、思いを共有しておくことが大切です。