人間は「表情」と「声」を頼りに「安全」を確認している
第一印象は見た目が8割、7割……など諸説ありますが、やはり笑顔で交流したいものですよね。コロナ禍においてマスク着用が重視され、いま私たちはお互いの表情を読み取るのが難しい環境にいます。このことが、人の心にどういった影響を与えるのでしょうか。行動神経科学博士で、イリノイ大学名誉教授、メリーランド大学名誉教授、ノースカロライナ大学精神医学教授を歴任するステファン・W・ポージェス博士の『ポリヴェーガル理論入門 ~心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年 / 春秋社)では、「人は社会と関わるうえで『安全である』と感じることが重要である」と解いています。安全と感じることが、人間関係の形成はもちろん、人の健康にダイレクトに関わっているのだそうです。以下、本文よりいくつか抜粋します。
ポリヴェーガル理論では、「安全である」と感じることは生理学的な状態に依存しており、「安全である」という合図は自律神経系を穏やかにすると論じている。
生理学的な状態を落ち着かせると、安全で信頼できる人間関係を結ぶことができ、それそのものが行動的、生理学的な状態を協働調整する機会となる。こうした健全な「調整サイクル」が、心と身体の健康を促進する。
<中略>
交感神経が優位となり、戦闘態勢に入っているときは、防衛に焦点が当たっており、「安全である」という合図を出すことも受け取ることもしない。しかし、腹側迷走神経経路によって社会交流システムが発動しているときは、声や表情で、「安全である」という「合図」を出し、それにより、自分自身と他者の防衛本能を制御する。互いに、社会交流システムを用いて関わりあうことによって、社会的な絆が強化される。(P.29より)
ポリヴェーガル理論では、系統発生的にもっとも新しい迷走神経の回路は、身体が「安全である」という「合図」を受け取ったときにだけ使用可能になる、と考えています。この回路が働き出すと、内臓の状態が落ち着くだけでなく、顔も働き始め、表情が豊かになり、声も韻律豊かになります。また、私たちは他者からこのような対応を受けると、身体が落ち着き、声や表情も温かい感情を表現するようになります。(P.90より)
哺乳類では、迷走神経経路の制御と、顔の制御が脳幹において統合されました。これによって、私たちの生理学的状態の特徴が顔と声に現れるようになったのです。つまり、もしある哺乳類が激怒している生理学的状態にあることがわかったら、私たちはこの哺乳類と関わりたくないと思うでしょう。(P.130より)
迷走神経については医療分野なので詳細な解説は差し控えますが(興味のある方は、この書籍と併せて、解剖学や生理心理学などの分野を参照されるのをお勧めします)、ここでお伝えしたいのは、「安全かどうか」を確認するカギとなるのが「表情」と「声の韻律」であると、ポリヴェーガル理論では論じているということです。
つまり、お互いに「豊かな表情」と「豊かな声の韻律」を届け合うことで、人は心と心を通わせていることになります。そして、それがその人の心身に影響するというのです。
「車の運転時」や「ネット上」で人が人を攻撃しやすくなることからも、とても納得のいく理論です。顔が見えない、声が届かない相手は「敵」とみなしやすいのです。
攻撃は最大の防御……人は自己防衛のために攻撃的になる
さらに、この「安全である」というメッセージ、どうやら受け取りにくい状況というのがあるようです。
側頭葉は、顔の表情や声の抑揚、身振りを解釈します。それは認知によるものではなく、「神経系」のレベルで、今起こっている事態は安全か危険かを決定づけます。
<中略>
実際、もし人が防衛状態に入っていて、身体を動かそうとする準備ができていたら、「安全の合図」を感じとるのは難しいでしょう。(P.91より)
「危険」を感じた人は「交感神経優位(緊張・興奮)」の状態になり、相手からの「安全の合図」を受け取れなくなる。そしてますます、周囲への不信感が募るという悪循環になっていきます。
つまりマスクをつけた生活は、「新型コロナウイルス感染症」というウイルスそのものだけではなく、「周囲の人たち」への不信感や恐怖という、ダブルの「危険」を察知しながら過ごすようなものだということ。
敵だらけの緊張・興奮した状態で日々を過ごすのは、しんどいことですよね。
そうでなくても、私たち日本人の生活は、普段から「パーソナルスペース」を尊重できない状況にあります。特に首都圏で暮らす場合、見知らぬ人とぴったりと身体がくっつく距離で満員電車に乗って通勤し、壁一枚隔てた集合住宅で生活する人も少なくありません。
そもそも日本人がジェスチャーの少ない人種であることを考慮すると、日ごろ表情と声から得られる情報に依存して交流していることは間違いないでしょう。
まとめると、
- ポリヴェーガル理論によれば、人は社会と関わる上で「安全かどうか」が最重要で「安全かどうか」は表情・声の韻律で判断している
- 顔が見えにくい・声がわかりにくいことは、安全かどうかが確認しにくい状態
- マスクをすることは、周囲が敵か味方かがわからない状態であり不安を感じ「交感神経優位」の緊張状態にある
ということになります。日常を「緊張状態で過ごす」という点においては、戦時中に近い状態とも言えるのでは……と、最近、強く思います。
誰もが不安なのです。不安だからイライラしたり批判したり、攻撃的になってしてしまうのです。
このご時世だからこそ「お互いさま」の思いやりを
「マスクをする」ことによるストレスとして、呼吸しにくい・眼鏡が曇る・肌への悪影響などに目が向いてしまうものですが、社会活動において「ウイルス」だけでなく、実は「人が怖い」という状況にあるのだということ、それは日々の暮らしで「安全」を得にくいからだということを、私たちは認識したほうがよさそうです。
とはいえ、攻撃し合うことで心身が脅かされてストレスを溜め、免疫力までもが低下してしまう危険性があることを考えると、お互いのためによくないことです。
簡単なことではありませんが、「お互いさま」の心を持ち、
- 知らない相手のことは「良い方向」に想像・解釈する
- 普段からエネルギーを溜めずに「発散」しておく
- 禅やマインドフルネスの「いまここ」の状態を学ぶ・体感する
そんなふうに少しでも心を柔軟にしていけると、気持ちにゆとりができるかもしれません。今の時代「発散」は難しいのですが、早朝のウォーキングなどで普段からエネルギーを発散するなど、自分の健康のためにできることに目を向けて心身を整えること、また、「お互いさま」の気持ちで周囲に思いやりの気持ちを持つことが大切ではないでしょうか。
例えば、筆者はレジでの金銭の受け渡しで「ありがとう」と感謝を込めて伝えています。おりこうさんな意見に聞こえるかもしれませんが、「情けは人の為ならず」……イライラが伝染するように思いやりも伝染していけば、いずれ自分のためになるかもしれないということです。