若い女性に多い「蛙化現象」とは?
若い女性に多い「蛙化現象」……何がカエルに変化する?
「かえるの王様」のあらすじは、こんな感じです。
……ツッコミどころ満載のお話ですが、それはさておき、「蛙化現象」とはこのお話の反対で、美しい王子様をカエルのように気持ち悪く感じてしまう。つまり、好意を持っていた男性に言い寄られると、途端に嫌悪感を持つという現象を指しています(※カエル好き女子を除く)。湖に金の毬を落としたある国の王女が、カエルから「王女様と友達になり、隣に座って同じ皿から食事をし、同じベッドで寝かせてくれるなら、毬を拾ってきてあげる」という申し出を受ける。しかし、毬を手にするやいなや約束を反故にし、王女は城に戻ってしまう。すると、カエルがお城に文句を言いに来る。事情を聞いた王様が「約束は守らなければならない」と言い、王女はカエルの隣で食事をし、しぶしぶカエルをベッドに入れるが、あまりの気持ち悪さからカエルを壁に叩きつける。すると魔法が解け、カエルは美しい王子様に戻り、二人は恋に落ちて結婚する。
片思いが実りそうになると冷める。それもただ冷めるのではなく「気持ち悪い」と思ってしまう。不可解な自分の心の動きに、戸惑ってしまう女性は多いようです。これは、交際が始まって「思っていたのと違った」と失望したり「釣った魚にエサはやらない」といった心理とはまた違います。
若い女性に多いのは、恋愛経験が少ないことも影響しているでしょう。男性から恋愛対象として見られることで自分の女性性をつきつけられ、相手の、男性としての生々しさに尻込みしてしまう気持ちは、思春期にはよく見られることです。しかし、大人になっても同じようなことを繰り返し、目の前に迫った「幸せ」から逃げ出してしまう女性は少なくありません。
恋愛だけではありません。本命の会社から内定通知が届いたときや、憧れていた同性の先輩から食事に誘われたときなどにも同じような「がっかり」を感じて、途端に魅力のないものとして映ってしまう。キラキラと輝いて見えていたものが、急に色褪せてしまう。望んだ関係が手に入りそうになると、相手に対する否定的な感情に襲われるのは、どうしてなのでしょう? なぜ女性に多いのでしょう?
「蛙化現象」には、自分や他人に対する強固な「否定的な思い込み」が関わっていると考えられます。ひとつずつ見ていきましょう。
思い込み1「自分は選択を間違う」
王子様が突然カエルに見えるようになるのは、関係が変化するタイミングで、自分の選択に自信がなくなるからかもしれません。「自分は大事な場面で間違った選択をしてしまう」と思っていれば、恋愛関係を始める前に引き返したくなる気持ちになるでしょう。「これを選んで、本当に良かったのだろうか?」と、自分の選択に不安を持つことは誰にでもあると思います。分岐点をどちらの方向に進むか。それが果たして「正解」だったのかは、選んだ道を歩き続けてみないとわかりません。
10~20代の若い人に「蛙化現象」が多いのは、人生における大きな選択で間違えた経験が少ないために、「間違えるのが怖い」と思っているからのように感じます。最初から「正解」を狙うからかもしれません。
自分にとって良い「選択」ができるようになるためには練習が必要です。「選ばされた」「選ばざるを得なかった」「なんとなく選んでしまった」というものには、相手への恨みや後悔や自責を感じやすいもの。主体的に、自覚的に、行動を「選択」することを心がけましょう。
「選ぶ練習」をしているうちに、自分の選択に自信が持てるようになってきます。早い段階で、カエルと王子様の見分けがつくようにもなってきます。
思い込み2「ほしいものは手に入らない」
「自分が求めれば求めるほど、望むものは手に入らない」、そんな思い込みを持つ人は少なくありません。特に女性は、受け身でいること、選ばれる側でいることが「女らしい」と評価されてきました。シンデレラのように、逆境に耐え、こつこつ真面目に暮らしていたら、突然幸せが「棚からぼたもち」のごとく降ってくる。つまり、力のある他者から「与えられる」のが、「女性の幸せ」だと考えられてきたのです。恋愛に積極的だったり、仕事に野心を持つことは(主に男性から)快く思われない。そうした社会の風潮が、女性が「自分から求める」ことの足枷になってきました。
子ども時代、サンタクロースに「望んだもの」をもらえなかった人、泣いているとき誰にもそばにいてもらえなかった人などは、ほしいものに手を伸ばすこと自体をあきらめてしまう傾向があります。
しかし、私たちはいつまでも無力な子どものままではありません。望んだものを手に入れる力も既に備わっています。何かを求める気持ちを持つことを、自分に許すことから始めてみましょう。
思い込み3「自分は誰からも愛されない」
自分に向けられた好意を素直に受け取れない人は、親から愛された実感が乏しい人が多いかもしれません。子どもにとって親は、自分をいちばん愛してほしい、大切に思ってほしい相手です。その相手から愛情をもらえなかった、まして虐待を受けていたとしたら、「親からも愛されなかった自分を、好きになってくれる人などいるはずがない」と思ってしまうのも無理はありません。
親から暴力を振るわれたり、人格を否定されたりすると、子どもも当然傷つきます。自分はひとりの人間として尊重されていない。傷つけてもいい存在だと思われている。そう思うことがつらすぎて、「自分のために叱ってくれているんだ」と思い込もうとしたり、「自分が悪いことをしたからだ」と自分を責め「いい子」になろうと頑張るのも、被害を受けた子どもの特徴です。
でも、親は変わらない。それは、子どもの問題ではなく親の問題だからなのですが、子どもは「どんなに頑張っても、自分は愛されない」という無力感を刷り込まれてしまいます。
自分に自信がないと、自分に近づいてくる人のことも「こんな私を好きだと思うなんて、たいしたことのない人に違いない」「見る目のない人だ」「何か別の思惑があるに違いない」と見下したり疑ったりしてしまいます。それが「蛙化現象」の根本にある問題のように思います。
「私は愛されるに値する人間だ」
「私は幸せになっていい」
まずは、そう思うところから始めましょう。はじめは簡単ではないかもしれません。でも、おまじないのように、毎日鏡に向かって語り掛けているうちに、自分のことを大切に思ってくれていた人とのおだやかな時間を思い出せるようになってきます。
自分を好きになりましょう。好きだと思える自分になっていきましょう。そうすれば、相手の気持ちに応えるにせよ、応えないにせよ、相手の好意にひるむことなく、素直に「ありがとう」と受け止められる自分に変わっていけるでしょう。