東京というお菓子はタイ人の大人気屋台料理の一つです。バンコクなどに行けば必ず見かけます。よく路上で安く売られていて、美味しくて、味のバラエティも多く、便利で歩き食いできるスナックです。特に外で遊ぶ子供や通学の学生が買うことが多いイメージです。ただし、このスナックはそれだけではありません。探るほどタイ人の日本に対する態度、微笑みの国の日本愛がもっとわかるようになります。
タイ語で「カノム・トウキョウ」を検索すれば
日本人が知らない、タイの「東京」というお菓子は?
「東京」というお菓子はタイ語で発音すると「カノム・トウキョウ」と言います。「カノム・トウキョウ」はどういうお菓子かというと、タイ風の小さい巻きクレープです。小麦粉から作った薄い生地が特徴で、作り方から見るとホットケーキに近いでしょう。生地の材料は小麦粉だけでなく、卵、牛乳、砂糖など、色々味付けがあるため、生地だけ食べても美味しいが、基本的には具材と一緒に食べます。具材の味は主に2種類があり、しょっぱい系と甘い系です。
しょっぱい系の具材はひき肉、ソーセージ、ハム、ベーコン、チーズ、焼き卵、ネギなど、色んな材料を使っています。
甘い系はカスタードクリーム、ジャム、ココナッツ、サトイモ、パンダンジャム(サンカヤー)等を使っています。
食べてみたい人は、タイに行ったら必ずどこかの屋台、市場では売っている店はあるでしょう。絶対どこでもあるわけではないが、お店を探すのは難しくは無いはずです。値段もとても手ごろで、一口サイズの一個は安かったら2-3バーツ(10円以下)でも売られています。
「カノム・トウキョウ」を作っているタイの料理人
なぜタイのストリートフードを「東京」と呼ぶのか
「カノム・トウキョウ」は単純に直訳すると、意味は「東京のお菓子」です。「カノム」はお菓子という意味で、「トウキョウ」はたまたま日本の首都に発音が似ている別の意味のタイ語というわけではなく、本当に「東京」を意味しています。
タイの多種のストリートフードの中では、地名を名につけるものはあるが、基本的には「広島風お好み焼き」のように、そのスタイルの料理の出身地を表しています。
例えば「ガイトート・ハートヤイ」という料理は、タイの南の大都市ハートヤイの揚げ鳥(ガイトート)です。タイの一般的な揚げ鳥と違ったスタイルとその出身地を表しています。「ガイトート・ハートヤイ」の地名は「広島風お好み焼き」の地名と同じ扱いです。
しかし「カノム・トウキョウ」は違います。当然出身地も東京ではありません。カノム・トウキョウの「東京」はどちらかというと、このお菓子そのものの名前。「広島」ではなく「お好み焼き」です。
仏歴2507年(西暦1964年)、バンコクではタイ初の日系百貨店が開店。それは大丸です。銀座と比べられるラチャダムリ通りに位置し、当時のタイの画期的な施設でした。タイ初のエスカレーターやエアコン。そして、もちろん、一般のタイ人が海外へ行かずに日本の商品と料理を買えるのも、ここは初めだったと考えられます。
日本の百貨店とともにタイに上陸したのは日本のデパ地下のようなグルメコーナー。そして、そこで売られているどら焼きや八つ橋は、カノム・トウキョウのインスピレーションだったと言われています。
なぜそれを見て、タイの材料で再現して、完全に新種の菓子を発明したそのタイ人は「トウキョウ」と名前を付けたのか? 理由は不明だが、その頃に初めて日本への興味関心が湧いてきたタイ人には、日本の商品は高級感のイメージがあるため、それを踏まえて名前を付けたかと考えられます。
今に至っても、タイ人は日本語の固有名詞を適当に商品名、ブランド名、店舗名に付けています。
実はタイでは日系商品と日本の百貨店は大人気
なぜタイ人は日本の言葉(特に固有名詞)を商品名、店舗名などに付けるのが好きなのでしょう。よく考えられる理由は、タイ人は日本の言葉にかなり慣れているからです。特に日本語が話せるわけではないが、言葉を見たら「これは日本語だな」くらいには多くの人は判断できます。
日本語の商品名に慣れてきたきっかけは間違いなく、進出した多くの日系百貨店のおかげでしょう。大丸だけではなく、この50年ではいくつかの日系百貨店がタイに進出しました。
バンコク店大丸のタイ語パンフレット、名前は「タイ大丸」
大丸
記録によると仏歴2507年(西暦1964年)にタイで初めての物理店舗が、バンコクの「ラチャプラソン交差点」で開店しました。現在は閉店してしまいましたが、ラチャプラソン交差点は今でもバンコクの他になく極上の百貨店の中心地です。延べ床面積が一番の「セントラル・ワールド」もこのラチャプラソンに位置します。
タイ、バンコクのそごう
そごう
大丸の20年後、タイに上陸したのは西武グループのそごう。今は閉店。
タイ、バンコクのジャスコ
ジャスコ
総合スーパーですが、タイ人は百貨店扱い。特に活気があるラチャダ通りで1984年に初めて開店したラチャダ店。ただし前述の2店と雰囲気はかなり違います。中を歩くと銀座の百貨店ではなく、郊外の百貨店に近いです。今はこのラチャダ通りの店舗は閉店しましたが、イオングループのスーパー(マックスバリュ)はまだまだ元気です。百貨店ではなくスーパーの業態に転換し、現在は76店舗もあり、タイでは最も元気な日本の小売店だと考えられます。
MBK、バンコクの代表的なショッピングモール
東急百貨店
1985年開店。現役。バンコクの最も代表的なMBKデパートの建物内に位置しています。
ヤオハン
1997年に経営破綻したヤオハンも実はタイに進出していました。
タイ、バンコクの伊勢丹
伊勢丹
1992年開店。バンコクの極上の百貨店の中心地「ラチャプラソン交差点」側にあるタイで一番大きいモール「セントラル・ワールド」の中に位置しました。2020年8月閉店。
髙島屋
2018年オープンの最先端ショッピングモール「アイコンサイアム」の中に位置しています。
ドン・キホーテ
ドン・キホーテ
2019年開店。関東地方中心のディスカウントストアは、実は訪日するタイ人観光客に大人気のため、タイへの進出はビックリするほどでもありません。
日本の百貨店とタイ人への影響
第一の影響は、日本の商品に接するチャンスが多い日系百貨店の普及のおかげで、タイ人が日本の用語に慣れてきたことです。半世紀以上タイで存在してきている日系百貨店の影響で、日本語の文字を付けておくだけでも商品のパッケージは格好良くなると思う人は少なくありません。
もちろん、日本語がわからなくても、言葉を見たらこれは日本語だと判断できる人は多いので「わけわからない文字列だな」とは思われません。そして、日本の用語はとても普及しています。サクラとか、サムライとか、フジとかを名乗る商品はタイでは数えきれないぐらいあるはずです。
言葉を超えるタイ日関係への影響
もちろん、影響は言葉だけでは終わりません。日系百貨店のイメージは、食料、料理コーナーのイメージがとても良いです(最近閉店した伊勢丹でも一番のアピールだったのは持ち帰り料理コーナーでした)。
そのため、「カノム・トウキョウ」が日本のどら焼きと八つ橋から生まれたように、日系百貨店の和食コーナーから、タイの和食愛も生まれました。
タイでは和食のレストランもとても多いです。JETRO(日本貿易振興機構)のタイ事務所によると、タイ国内では「和食」を提供しているレストランは3,600店舗以上。日本人が開業しているだけでなく、タイ人も自分自身で和食のレストランを開業しています。日本人のレシピのまま作ったり、レシピに頼らず自分で食べた日本料理のまねをして作ったり、日本料理のレシピをタイの安くてどこでも売っている材料で作り変えてフュージョン料理にしたりしています。和食は既にタイ人の食文化の一部になりました。そしてタイで生まれた東京と同じ名前のお菓子「カノム・トウキョウ」はその祖先です。
タイでの日本文化の人気は秘密ではありません。人気がここまでたどり着いた原因はいろいろありますが、日系百貨店はその一つです。タイに行ったら、色々面白いタイ料理を食べてみましょう。実は日本から影響を受けた料理かもしれません。
執筆者:ラチャ(All About Japan タイ語 編集リーダー)
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