生まれて初めての自己主張が「離婚」だった
従来、日本では「我慢」が美徳とされてきた。自分さえ我慢すれば家族がうまくいく。そう信じて家族に尽くしてきた女性たちも多かった。そんな「価値観」は、今を生きる女性たちの中にも存在している。
「おねえちゃんなんだから我慢して」と育ってきた
東北地方のある町で生まれたサヤカさん(38歳)は、弟2人と妹がいる4人きょうだいの長女として育った。
「母にいつも言われていたのは、『おねえちゃんなんだから我慢して』という言葉でした。そんななかで、私は自分が我慢すればうまくいくと思っていたし、自分より人を立てるのが私の役目だと思い込んでいたような気がします」
家は決して裕福ではなかった。成績のよかったサヤカさんは大学進学をあきらめて就職した。今思えば、本当は大学に行きたかったが、弟たちのためにも早く働いて家にお金を入れるのが当然だと思っていたのだ。
「私はこうしたい、という思いを親に伝えたことはなかったと思います。自分がどうしたいかもわかっていなかった。それより周りを見て、自分のなすべきことをしてきた。そんな人生だったんです」
母は体が弱くて働きには出られない。父の勤め先が大手企業の傘下に入り、父が閑職に追いやられて退職したのは、彼女が20歳のときだった。
「それから数年間、昼間の仕事を終えてから夜は水商売でがむしゃらに働きました。すぐ下の弟も、もうひとりの弟も、大学まで行かせてやれたのはよかったと思っています」
妹は高校卒業と同時に幼なじみと結婚、サヤカさんの肩にかかっていた重荷は6年ほどの間で一気に下ろすことができた。気づいたら自分の役割がなくなっていた。
「ふと私もどこかへ行きたいと思い、東京に出てきました。27歳のときです。手に職があるわけはなく、どうやって生きていこうかと考えたんですが、若いうちに東京で暮らしてみたかった」
東京の大学に進学した友人もいたが、頼るつもりはなかった。アルバイトを探し、アパートを見つけてひとりで暮らし始めた。時間はかかったが、友だちもできていく。29歳のとき、6歳年上の会社員の男性と知り合った。
強烈にアプローチされて結婚
「私にとって、彼は初めての男性だったんです。実は恋愛もしたことがなかった」サヤカさんは恥ずかしそうにそう言った。主義主張があって恋愛しなかったわけではない。働くだけで精一杯だったのだ。
「彼に会って初めて、男性に褒められる楽しさとかおしゃれする喜びとか、自分の人生をシェアしあう感覚っておもしろいとか、そんないわゆる恋愛の楽しさを知りました。それでも、つきあって半年足らずでプロポーズされたときはびっくりしました。まだお互いによくわかっていないし。でも彼は『きみとならうまくやっていける。結婚してから知り合っていってもいいじゃないか』と。強烈に口説かれました。正直言って、これだけ求めてもらえることはもうないだろうと思って。彼を喜ばせたい気持ちが強くて、承諾したんです。自分自身が結婚したいかどうかでいえば、本当はもう少しあとでもよかった。恋愛を堪能したかったですね」
我慢が美徳、自分は我慢して相手に喜んでもらえればそれでいい。サヤカさんの癖が出てしまったのだ。
それでも結婚生活は最初のうちは楽しかった。彼が自分が帰ったときに家にいてほしいと言うので、彼女は専業主婦となった。
「地域のカルチャーセンターみたいなところで絵を習ったり、地元の公共プールで水泳を習ったり。彼のために料理も勉強しました。彼はいつも褒めてくれた。彼に褒められたくて、すごくいい子でいたんです、私。親は私がいい子でいるのを当たり前としていたけど、彼は褒めてくれるから、やりがいがありました」
このまま彼の子を産んで家庭を作る。そう信じていたのだが、なぜか子宝には恵まれなかった。結婚して3年くらいたったとき、彼に不妊外来に行ってみようと誘ったが、彼は「自然に任せればいいよ、僕はサヤカと一緒にいられればいい」ときっぱり言った。彼がそう思うならそれでいい。サヤカさん自身も、本当は自分が子どもをほしいと思っているかどうかわからなかったという。
「ただ、その1年後くらいからほぼセックスレスになってしまったんですよね。最初は彼が異動になって仕事が変わり、ものすごく疲れていたのでしなくなったんだなと思っていたんです。だからといって会話がないわけではないし、彼の態度がヘンだったわけでもない。私はマッサージの本を買って勉強して、彼によくマッサージをしました」
彼も次第に元気を取り戻していったが、セックスは戻らなかった。
そして3年前、彼が不倫していることが発覚した。
「家に知らない携帯番号から電話がかかってきたんです。留守電のままにしておいたら声が流れてきた。『私、お宅のご主人とつきあっているんですけど、いつになったら離婚してくれるんですか』って。びっくりしましたね。まさか夫が私を裏切るなんて考えてもいなかった」
あわてて彼女はコールバックしてしまう。そして相手の女性と夫が2年にわたってつきあっていること、夫が「妻が別れてくれない」と彼女に言っていることなどを聞いた。
「彼女がウソを言っているようにも思えなくて。その晩、夫に留守電の録音を聴かせたら青ざめていました。その後、電話で彼女と話したことも言ったら、『オレはそんなことは言ってない』って。ただ、2年つきあっていたのは本当みたいでしたし、私はあまりにショックで、もう離婚することしか考えられなかった」
夫は、彼女とは別れるから許してほしい、やり直してほしいと泣いて懇願したが、サヤカさんはまったく気持ちが動かなかった。夫を見知らぬ他人のように感じたという。
「同時に気づいたんです。私、今まで自分の意志を通したことがあるのか、自分がしたいことをしてきたのか、と。結婚も私自身が望んだことではなかったのかもしれない。それまでの人生すべてが夢だったのかと思うくらい、心身ともに虚脱状態になっていきました」
弁護士をたてて彼女から慰謝料を支払ってもらった。夫の両親が彼女に同情して意見してくれたため、夫は自宅を彼女に慰謝料代わりにくれたという。
「中古で狭いマンションですが、今後、家賃を払わずに住めるのはありがたいなと思いました」
あれから3年、彼女は仕事を掛け持ちしながらそのマンションに住んでいる。生まれて初めての自己主張、生まれて初めて自分がしたいと思ったことが「離婚」だったのだ。
「私でも自己主張を貫くことができるんだと思いました。あれから少しずつ、自分の本来の欲求について考えています。誰かに褒められるため、誰かの役に立つためではなくて、自分のために生きていこうと思えるようになってきたところです」
我慢することが当たり前になると、自分の欲求に気づけなくなっていく。彼女は今、自分を変えることに夢中になっているという。