天才アラーキーとの日常生活をつづった、今は亡き荒木陽子さんのエッセイ
星の数ほどいる男女が出会って恋をして、そして結婚してしまうって本当にスペシャルなことだと思います。まさに「運命」といっていいでしょう。
写真家・アラーキーこと荒木経惟さんとの日常をつづった陽子夫人のエッセイ『愛情生活』は、そんなあまりにもロマンチックな考えに素直にうなずける、そんな1冊です。
さっそく詳細をチェック
天才・アラーキーも家ではかわいい旦那さん
1997年に、アラーキーと陽子夫人を題材とした映画『東京日和』を見る機会があり、「ぶっ飛んだ芸術家と夫婦として暮らすってどんな感じなんだろう」という興味から、この本にいきつきました。
当時の私は20代で未婚。超有名な写真家との夫婦生活というと、ちょっと普通とは違うんだろうなぁと憧れにも似た思いを描き、この本を読んだのですが、実際は想像していたのと全然違っていました。
確かに、夫婦でヌード写真を撮影するなどというのは普通とは違うのかもしれませんが、1冊を読み終わったときにとてもほっこりした気分になれたのです。そこに描かれていたのは、1組の夫婦の日常。彼らにとってなんでもない日常ながら、そこには愛が溢れていました。
お互いがお互いを好きなことが随所に感じられすぎて、もう陽子さんが亡くなってしまっていることが切なくなりました。
でも、陽子さんの文章は素直で快活。そこにいきいきと描かれていたのは「天才・アラーキー」ではなく、普通に家でくつろいでいるかわいい旦那さんなのが印象的だったのです。
夫婦には2人だからこそのバランスがある
初めてこの本に出会った20代のころは「いいなぁ、私もこんなふうに価値観を共有できて、いつまでも好き同士でいられる夫婦になりたいなぁ」と、このお2人に憧れました。ですが、この本は実際に結婚してからのほうがじんわりと心に染みるものがあります。
お子さんがいなかった荒木夫婦ですが、お互いがお互いの子ども、そして親としての役割を果たしていたようです。それぞれが持つなにげない魅力や、お互いの生活感や時間、そして才能について、夫婦お互いが一番の理解者であることが1冊を通して描かれています。このことが分かったのは、自分が結婚したあとです。
お互いが理解しあえているからこそ、この2人だけの空間や時間が生まれる。それは奇をてらったものでもなく、夫婦にとって一番居心地のいいバランスで成り立っている。
だからこそアラーキーは普通のかわいい旦那さんに見えるし、そんな日常のあれこれを読んでいると心がやわらかくなるのです。愛情って与えてもらうものではなく与えあうものなのだなということを、この本を読んでいると感じられます。
この1冊があったから今の夫婦生活がある
私の結婚観や夫婦観の根本はこの本から感じた「愛情は与えあうもの」というところにあります。しかし、忙しい日常に埋もれて、ついつい忘れがちになってしまうことも少なくありません。自分のストレスや思いを相手にぶつけすぎそうになるときに、この本を読み返します。
そんなときはエッセイはもちろんのこと、そこに添えられている陽子夫人が撮影した写真、とくにソファーにあおむけに寝転がるアラーキーの脚の上で猫が眠っている写真に心が癒やされます。
そうすると、油断しまくったジャージ姿で幸せそうに寝転がってテレビを見ている旦那さんが、私の『愛情生活』を体現しているような気がして、その時間が愛おしくなるのです。「ダラダラしている」と旦那さんにイライラしていたことが、バカバカしくなるほどに。
夫婦間で要求しあいすぎることは、イライラや喧嘩の元になるのかなと私は思います。ついつい相手にイライラしがちになってしまう、忙しい時間を過ごしている奥様にこそ読んでほしい、癒やしの1冊です。
詳しくはこちら
DATA
角川文庫┃愛情生活
著者:荒木陽子