自らの歩んできた道を振り返り、これからの人生について考えはじめたアナタに、ぜひ手にとってほしい一冊が『日の名残り』です。
『日の名残り』のストーリー
ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロによる本作は1989年に刊行され、同年のブッカー賞(イギリスの文学賞で世界的に権威のある文学賞のひとつ)を受賞。アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされています。亡き父のような「品格ある執事」を目指し、「その道」を追求することを第一に生きてきた主人公のスティーブンス。ちなみに、執事とは上流階級において、家事及び部下の使用人の指揮管理を担う役割のことで、彼はイギリスの名士であるダーリントン卿に仕えてきました。
ダーリントン卿の屋敷であるダーリントンホールは、彼亡き後、米国人の富豪ファラディ氏が買い取り、スティーブンスはファラディ氏に仕えるようになります。
物語は、生真面目なスティーブンスが、ファラディ氏を笑わせるようなジョークを密かに練習するシーンなど、ストーリーの所々にユーモアを織り交えて展開されていきます。
ファラディ氏のすすめもあり、彼は旅に出ることを決め、そのときどきで自らの執事としての人生を振り返ります。
不器用な主人公の生き方に読者である己の姿を省みて
主人公は旅の最後で、かつてダーリントン・ホールでともに働いてきた女中頭のミス・ケントンと再会を果たし、ミス・ケントンから現在はベン夫人となっているその女性から、実は彼を恋慕っていたという事実を聞かされます。そんな女心に気づかぬほどに、執事という仕事をまっとうしようと努めてきたスティーブンス。あるいは、彼女の想いに気づきながらも、彼は職務以外のことには想いを傾けないように生きてきたのでしょう。
スティーブンスにとって「執事」という仕事が彼の人生であり、彼の世界だったのでしょう。ひたすらに「その道」を追求するために努めてきたスティーブンスの、決して器用とは言えないかもしれない生き方に、読者である私もまた己の生き方を重ねて共感し、ハッとさせられました。
「夕方」は一日でいちばんいい時間
旅のラストシーン、偶然居合わせた男性がスティーブンスにこう言います。人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ
このセリフに思わず涙が出た私。最近、以前にもまして涙もろくなってきたことに切なさも感じますが、この男の言葉どおり、朝や昼に比べてまったりできる「夕方」は、まんざらでもないのかもしれません。
これからはもう少し肩の力を抜いて進んでいこう。人生の夕方に向かいつつある今、この本と巡り合えたのはラッキーでした。
DATA
早川書房┃『日の名残り』
著者:カズオイシグロ
翻訳:土屋政雄