そもそも「価値観」とは?

喧嘩する男女

「共感」を求める傾向にある女性は「違う」ことに不安や怒りを感じやすいかもしれませんが、「価値観」も異なって当たり前なのかも


夫婦や恋人などの男女間で「価値観が違う」ということが話題になりますが、そもそも「価値観」とはなんでしょう。まず、ウィキペディアより引用してみます。

価値観(かちかん、英:sense of values[1])とは、何に価値があると認めるかに関する考え方[2]。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となるものの見方[2]。ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断[3]。

言われてみれば、そのまま。しかし、これが同じ人を見つけるのって難しそう……(苦笑)。

筆者は「価値観」という言葉を「生きていくうえで大切なことはなにか」という大きな意味の尺度として使用していました。ゆえに「私たち夫婦は価値観がいっしょである」と思っていました。

ところが、以前の記事『三人の子連れ再婚。初婚の夫の気持ちとは?』にあるように(※家族観や価値観について、筆者の夫が綴った広報誌でのコラムを紹介しています)夫は、筆者や娘と「価値観が違う」と思っていたのです。

そこで、「そもそも価値観って?」について、具体的に筆者の夫婦関係を例に考えてみたいと思います。


「価値観」って、金銭感覚?

家計簿

二人のやりたいことや欲しいものに差があったり共感できない場合、揉めごとになりがち。ましてや、専業主婦など稼ぎに差がある場合、その労力にちゃんと価値を見出せるかどうかなど別の問題も


価値観の違いとしてよく話題になるのが「金銭感覚」です。例えば、下記のような観点が違うと、夫婦という「共同経営の関係」においては揉め事のもとですよね。

モノより想い出 : アクセサリーやインテリアより、旅行にお金をかけたい。
持ち家よりも賃貸 : 「理想の家を建てる」ことより、気楽な賃貸が良い。
交際費より自己投資 : 人づきあいは面倒。イベントに参加するなら本を買いたい。

でも、これについては夫に聞いてみると、「それは価値観ではなく『金銭感覚』でしかない」のだそう。

夫は前述のコラムで、「価値観のギャップがありすぎて、全員宇宙人にすら見えてきます(笑)」「今でも自分の価値観をぶつけて嫌な想いをさせてしまうこともあります」と語っていたのですが、確かに私たち夫婦が「お金をどこに使うか」で揉め事になったことはなく、その点で夫婦間のズレはありません。ちなみに、私たち夫婦は二人ともモノより想い出。持ち家か賃貸かは流動的で、「今のところ賃貸」。交際費も投資も、どちらも大切です。

また、価値観か否かという点について、筆者自身は「金銭感覚」はどこに「価値」を置いてお金を使うかということでもあるので、「価値観」がまったく絡んでいないということはないと考えています。


それとも、暮らしのなかのモノやコトの優先順位?

掃除

何を捨てるか、置いておくか。何を片づけるか、出しておくか。それは日々の生活週間や、記憶力(覚え方)に違いがある限り、違って当然と言えるかも


筆者と娘にとって、家事のなかで優先順位が低い「片づけ」。これは夫の中で価値観の違いだと考えているようです。

3人の娘との母子家庭の時期が長く、仕事と家事の両立ができずに「とにかく料理だけはサボらない。でも、片づけはしなくても生きていける……」という状態だったことがあったためです。独身時代は自分の部屋は片づけられる人だったのですが……まぁ、言い訳です(笑)。

その点、夫の母である義母は、いつも家をきれいに保っており、いつ誰が来ても大丈夫なぐらい散らかっていません。そして、独身時代の彼の部屋も物が少なくいつもきれいでした。

夫にしてみれば部屋が散らかっていると「空間」が減り、息が詰まり、イライラしてしまうというのです。だからといって、夫が片づけてくれるのかというと、そうではないところが筆者には疑問ですが(笑)。しかも、「片づけるのなら完璧に自分のやり方で片づけたい。それが無理ならやらない!」という不思議なところに落ち着いていました(最近少しずつ変わって来ています)。

この項目で彼が言う「価値観の違い」は、「モノを捨てられない」「片づけられない」など、家事の優先順位やモノの優先順位が違うことを指しているようです。「夫は捨ててもいいと思うものを、私たちは節約のためにも捨てられない」なども価値観の違いです。確かに、そういう捉え方もありますよね。


思想や信条として、大切にしているコト?

お寺

お墓参りや、お線香を立てることを大事にする夫は、亡くなった母にも命日にお経をあげてくれます。たまたま、母と夫の宗教宗派が同じなのも面白い偶然です


夫の家系は「寺」との関わりが深く、祖父は阿闍梨だったそうです。そういった所以もあり、夫にとっては「お墓参り」は非常に大切なもの。

筆者は、母が自分の母方のお墓参りを重視していたので、必然的に、祖母の系列のお墓は毎年お参りをしていました。一方、早く亡くなった祖父のお墓のほうが、家に近いのにもかかわらず、祖母よりも優先順位が落ちるらしく1~2年に一度程度の頻度でした(死後、祖母に苦労をかけたからという理由?)。さらに、父方のお墓に至っては「遠いから」という理由で、幼少期に一度お参りしたきり。母方と同じ福井県でありながら、石川県寄りにある父方のお墓は、お寺の名前もお墓の場所も知りませんでした。こちらも、両親の夫婦関係も関係しているのだと思います。

これを夫に話すと、「それはおかしい」とハッキリ言われました。「ひじりのご両親の間になにがあったとしても、ひじりの命はどちらか一人でできたものじゃないでしょう? お父さんのほうのお墓参りにもちゃんと行こう」と言われました。

そこで、父にお寺の名前を聞いて、夫婦でお寺を訪ね、住職さんにお墓の場所を教わってお参りしました。そのことを報告すると、体力的にいっしょには行けなかった父は、とても喜んでいました。

母からは「お父さんはそんなこと(お墓参り)なんて気にしない。遠いから心でお参りすればいい」と聞いていました。確かに「心で思うこと」も大切です。でも、国内のお墓がどれほど遠いといっても、旅行では海外に行くこともあるのに一度もお参りしていなかったことを反省しました。

想像以上に喜んでくれた父を見て、「お墓参り」は父にとっても「自分のルーツを大切にしてくれた」というハッピーなできごとになったのだと感じました。

この思想や信条として、大切にしているコトが「価値観」のひとつだとすれば、例え違っていたとしても思いやりを持ち寄れば、喧嘩になるどころか新しい自分の価値観として取り入れ、幸せが増える……ということになります。

こうして考えてみると、私たちは漠然とした「モノの見方」を「価値観」として話しているのかもしれません。それなら恋人や夫婦、家族であっても「価値観」はそれぞれ違っていいのではないか……と思うのです。


夫婦で違うと困る「価値観」とは?

逆に、夫婦で違うと困る「価値観」があるとすれば……
・人として大切なこと
・人としてやってはいけないこと

など、どちらかというと「モラル」のほうに近いのかもしれません。

また、個人的には「○○観」という視点よりも、
・人として目指しているところ
・家族の在り方
(時間や空間の使い方)
・二人の理想の関係
などが致命的にずれていると、のちのち困ることになると思います(実際、経験的に一度目の結婚ではモラルと目指すものに大きなズレがあり……)。

目指しているものが同じであれば、日常の尺度などは違ってこそ面白いこともあります。自分と大切な人にとって、なにが大切なのか。それをお互いが知った上で、それを尊重できるか。そういう思いやりを持てれば、「違うからダメ」ということはないのかもしれません。
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