今の時代、「〇〇だから」は危険ワードである
悪気がないとしても
「おかあさんだから」をはじめ「女だから」「男だから」「妻だから」「夫だから」「独身だから」……、これらの言葉は、多様性のある個人を一括ステレオタイプ化してしまうこと、そしてそのステレオタイプがしばしば旧時代的であるという問題をはらんでいます。
個人の意見や自虐として「〇〇だから××」というのは、アリかもしれませんが、公共の場で、多くの共感を集めたい作品や広告などに使ってしまうと、思わぬ反発を受けることになるので、私も必死に注意を払いたいものです。
炎上するママ向けの歌や動画に、当事者達は心の中でどう感じているのか?
ママの心の細かいひだまでキャッチしてほしい
以前「産後の心身共に過敏になっているママの状態」にも原因があると書きましたが、今回はそんなママのインサイト(隠された気持ち)に近づきたいと思います。
(関連記事:育児系Web動画が炎上しやすい原因はママの精神状態?)
あくまで私の個人的な体験で恐縮ですが、『あたしおかあさんだから』の曲や『ムーニー』おむつの動画を見て、私は以下のようなフェーズをたどりました。
1.(頭で考える前に)どれも泣ける。涙が出てくる。
2.「わかるよ!」「つらいよね!」という共感。
3.悲しい、苦しい……。ん、でもなんだかモヤモヤする!
そして大多数のママが思うであろう結論のひとつは、
4.「大きなお世話だ」。
(確かに、描かれているとおりに生活している。しかし、だからといってわざわざ突き付けられたくない。少なくとも応援されている気分にはならない)。
もちろん、動画や歌詞を見ても反発しないママ、応援されていると感じるママもいることでしょう。もしかするとその数の方が多いかもしれません。しかし、そのような感想より、怒りや悲しみなど強い感情がインターネット上では盛り上がってしまう宿命があります。
隠れた気持ち「インサイト」を見つけ出す
インサイトは自覚がなかったり、おおっぴらに言いにくいことも
ここで少し脱線しますが、広告業界ではクリエイティブを制作する際に「インサイト」というものがとても有用であると考えられており、私も日々うんうん唸りながらインサイトを探しています。
(興味のある方は『「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~ 』で分かりやすく説明されているのでご覧ください。)
インサイトとは、ひとことで言うと「隠れた気持ち」。
上記の著書によると、自覚していないことが多いので、自分のインサイトを説明できない人も多いといいます(インサイトの特定を間違えてしまい大失敗した例がでてきます)。
そのため、仮にお母さん当事者にインタビューを行って作ったとしても、インサイトが引き出せないことが考えられるので、注意が必要です。お母さん本人から出た言葉でも、都合のよいストーリーだったり、紋切り型の回答だと、隠された気持ちのインサイトではなく、「無自覚でもインタビュアーに適した形に加工した回答」だったりするので、そこは大きく違うのです。
「加工した回答」は、他人とコミュニケーションを取るための表現。ホンネではなくタテマエも混じっていることが考えられるのではないでしょうか。
さて、では「ママのリアルを描くとなぜ炎上するのか」のヒントになりそうなインサイトを探してみました。
さらに、このインサイトを持っているお母さんが、何かしらの制作物を見た後に示すであろう反応や気持ちの動きを「→」後に推測してみます。
・子どものことは宝物であるが、子どものために自分や何かを犠牲にすることは、必ずしも喜びとは限らない。
→A.自分や何かを犠牲にしている、と自覚した瞬間、苦しくなる。
・結果的にワンオペや、子ども優先になってしまうかもしれないが、それを全肯定し、自ら100%好んでやっているわけではない。
→B.リアルだけを描かれると、その状況を肯定されている気になり、違和感を覚えたり、反発したくなる。
・育児で辛い思いをしている人/した人なら、少なくとも未体験の人より、自分のモヤモヤしている日々の気持ちを分かってくれそうだ。
→C.自分の気持ちを分かってもらえそうな制作物か否かで、仲間意識の有無が変わる。分かってくれていると思えば味方、そうでなければ敵と認識。
上記のA,B,C(敵と認識した場合)のどれか、またはすべて満たしてしまうと、先ほどのフェーズ4、「うるさい、大きなお世話だ」となってしまうのではないでしょうか。
応援したい気持ちが、そのまま伝わりますように
本来、ママの応援は歓迎されるはず
邪推ですが、これら制作物の企画書には「母親たちを応援するため、リアルを描いて共感してもらう」という文言があったりして、クライアント側も「なるほど!」とOKを出してしまったのでは、という気がします。
しかし、いまのお母さんは子育てしながら社会問題も抱えているので、安易に「応援=リアルを描く」としてはいけないと思うのです。
私も制作者の末席にいるものとして、それをしっかり自覚しようと思った次第です。