「高岡大仏」は日本三大大仏の1つ?

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「日本三大大仏」の高岡大仏

富山県第二の都市として発展する高岡。加賀藩の前田家にゆかりのある町民文化が今も色濃く残る歴史都市として観光客誘致に力を入れています。そんな高岡のシンボルと言えば高岡大仏。今回は奈良、鎌倉に並び日本三大仏と呼ばれる高岡大仏の魅力について紹介します。

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高岡のシンボル

高岡にある「高岡大仏」とは一般的に市民から親しみを込めて呼ばれる通称で、正式には「銅造阿弥陀如来坐像」と言います。

高岡は銅器の町と呼ばれ、現在においては国内銅器販売額の95%を占めるほどですが、その技術を結集して、1907年から1933年まで26年の歳月を費やして作り上げた銅造の大仏が高岡大仏になります。

市指定文化財にも指定される町のシンボルで、その大きさと完成度、歴史的な由来などから、奈良、鎌倉の大仏と並び日本三大仏の1つを自称しています。

高岡大仏の高さは鎌倉の大仏越えの15.85m!

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台座の下は回廊になっている


公平な記述を心がければ、日本三大仏という呼び方は、あくまでも自称になります。奈良、鎌倉の大仏は歴史が古く、奈良の大仏で最初の開眼供養が行われた時期は西暦752年。鎌倉の大仏は前身の木造大仏の開眼供養が1243年に行われています。

一方で高岡大仏は1933年ですから、圧倒的に「若い」大仏で、その歴史の浅さから日本三大仏の1つという評価が疑問視されています。実際、奈良、鎌倉に次ぐ日本三大仏を自称する大仏も他にあります。

しかし、正式か自称かは別として、高岡大仏には「日本三大仏」と呼ばれるに値する迫力と風格、たたずまいがあります。

高岡大仏の地表からの高さは15.85m。奈良の大仏(18.03m)には及びませんが、鎌倉の大仏は13.35m(台座を含む)です。高岡大仏は鎌倉の大仏と違って台座の下に回廊があって、その分だけ地表からの高さを稼いでいるという実情もあるのですが、銅器の町のプライドと技術を結集した大仏の迫力は鎌倉にも負けていません。

歴史をさかのぼれば800年前の木造の大仏に行き着く

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現在の大仏は銅造

歴史についても、高岡大仏は鎌倉にも劣らない時間の流れを生き抜いています。銅造の現大仏は1933年に開眼供養が行われていますが、もともとは木像で、オリジナルの歴史をさかのぼると約800年前にたどりつきます。

残念ながら度重なる火災で、木造の大仏は再建のたびに失われてきた歴史があるのですが、繰り返される悲劇を嘆いた市民が焼けない大仏を望み、最終的に13トンの青銅を消費して銅造の大仏を作り上げました。

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回廊に安置される木造の大仏頭部

ちなみに焼損した木造大仏の巨大な頭部は、高岡大仏の台座の下にある回廊の奥に安置されています。訪れた際には回廊の中に入って、参拝してみてください。

周辺には「日本都市公園100選」の高岡古城公園や金屋町も

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高岡大仏と古城公園はすぐ近く

高岡大仏は、「日本都市公園100選」にして「日本さくら名所100選」にも入る高岡古城公園の近所にあります。その距離は200m。高岡大仏に訪れた後には、オタヤ通を歩いて高岡古城公園に移動できる立地になっています。

銅器の町として高岡が歩みを始める歴史は、前田家の2代目で加賀藩の藩主・前田利長が隠居した高岡の地に鋳物師を呼び寄せたところから始まるのですが、その鋳物師たちが移住し鉄器や銅器を盛んに作った金屋町の歴史地区も、千保川を超えた徒歩圏内にあります。

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高岡は日本遺産に認定第一号の町

前田家2代目にして加賀藩の藩主が移住した高岡城の跡地である高岡古城公園、銅器の町として発展した高岡の根拠地とも言える金屋町、さらには銅器の町として技術とプライドを結集した高岡大仏など一連の歴史的観光地は、全体で日本遺産にも認定されています。

高岡大仏を訪れた際には、一連の関連スポットにも足を運んで、金沢とは異なる加賀藩の足跡の魅力を楽しんでみてくださいね。

〇高岡大仏
住所:富山県高岡市大手町11-29
電話:0766-23-9156
観覧時間:6:00-18:00(大仏台座下の回廊について。境内は24時間出入り可能)
休業日:なし
アクセス:高岡駅(あいの風とやま鉄道)から徒歩10分
駐車場:12台(無料)

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