彼の「心の領域」に介入していませんか?

手をつないで走る子

「世話を焼く」ことだけが「愛」ではないのです


「好きな人を支えたい」
そう考えるのは、ある意味、とても自然なことです。でも、愛するあまり、本来、彼自身が自分で乗り越えるべきことまで、なんとかしてあげなきゃと手を出してしまっていませんか?

例えば、子どもは転んで怪我をすることで「転び方」を覚えます。でも、転ぶ前に、いつもいつも母が手を引いて助けてしまうと、子どもは転び方を覚えられなくなります。助けることは、同時に、転ばないようバランスを取ったり、怪我をしないよう手をついたりすることを学ぶ機会を奪うこと。いつか大きな怪我をしたり、ちょっとしたことで骨折したりするかもしれません。

彼氏に対して、こんな風に甘やかしてしまっていませんか?

ダメ男と離婚した人のコミュニティを作っていたことがありますが、多くの女性が「私が彼を助けてあげなきゃ」「私がいないとダメな人」と認識していました。でも、どれほどサポートしても借金も暴力も、繰り返されたのです。

大好きな彼の辛そうな生い立ちやトラウマを知ると、女性はつい手を出し、口を出してしまいます。でも、それは本当に必要なことでしょうか?


互いに相手を求め依存し合う「共依存」

抱き合う二人

くっつき過ぎると、身動きが取れなくなるもの。もたれ合うのではなく、それぞれが立つことが大切


「共依存」という言葉を聞いたことはありますか?

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。(Wikipediaより)

少し乱暴な説明になるかもしれませんが、「困っている人」と「それを助けてあげることによって、自分の存在価値を見出す人」が、お互い相手に依存することで成立している関係のことを指します。よく例えに出されるのが「アルコール依存症の夫」と「献身的に支え尻拭いする妻」。

支える妻はサポートしているように見えて、実は、夫が独立するのを妨げていると言われています。いろいろな形の共依存がありますが自覚していないことが多いようです。互いにもたれ合い、動けなくなってしまうのです。

私自身も、過去に彼氏に対してそうなったことがありますし、今思うと、母と私の関係も共依存だったのだとわかります。母は、私に対して、いつも「あなたは間違えている」「親(母自身)のいうことを聞けばうまくいく」というメッセージを有形・無形で伝えてきました。私は本当はそうしたくないのに、母のいう通りにしないと罪悪感や不安を感じましたし、母の許可を得なければ何も決断できなくなっていました。

「デキの悪い子」と「いつまでも母親業をしていたい親」もまた、共依存関係にあるといえるのです。

この関係は、アドラー心理学でいう「課題の分離」ができていない状態であり、あるべき距離やバウンダリー(他者との心の境界)が築かれていない状態です。


「自分に自信がない」「世話焼きな人」は要注意

「助けること」=「愛」でもなければ、「助けないこと」=「冷たい」でもありません。どちらもが「自分を大切にできているか」を確認して

「助けること」=「愛」でもなければ、「助けないこと」=「冷たい」でもありません。どちらもが「自分を大切にできているか」を確認して


特に、女性は「自己犠牲を厭わず助けてあげる人」になりがちで、それをよいことと認識している人も多いと思います。実際に、小さな子を持つ母親は、子どものことを「自分ごと」として捉えて、自己犠牲を厭わずに世話をする必要があります。子どもの成長と共に、関係を変えていかねばならないのですが。

母性とも言える「自己犠牲」を伴った献身的な態度と、強烈な「承認欲求」とが存在するとき、愛するがゆえに、自らバウンダリーを崩してしまうのかもしれません。つまり、自己受容感(自己肯定感)が低い人ほど危険なのです。

誰かに尽くし、そのために自分の将来を棒に振り、彼が立ち直るきっかけを奪い、彼を自分に甘えさせる関係になっていく……それは、決していい関係だとはいえないはずです。

借金や暴力、ギャンブルなど、いわゆるダメ男ではなくとも、「生い立ち」に関わる根深いトラウマを抱えている男性は、たくさんいるものです。根深いものは、他人にどうこうできる問題ではありません。関わることでむしろこじらせてしまう危険性もあるのです。

その人が持つ問題は、本人が「どうにかしたい」「乗り越えたい」と思ったときに、初めて動いていくもの。

あくまでも、本人が「乗り越える」と決断し、そのうえで「サポートしてほしい」と言われたら手伝うだけ。基本は「見守る」ことです。その境界線は、二人でゆっくり見つければいいのです。

互いのトラウマをシェアすることは大切です。「自分ごと」として捉える姿勢も大切です。でも、その先にある「解決する」「向き合う」という決断は、本人の意思を尊重しましょう。特に、心の病気を抱えている人が相手なら慎重に。「助けないこと」は決して「冷たいこと」ではありません。

バウンダリー(心の境界線)を見つける作業、見守る姿勢は、きっといつか、子育てをすることになったときにも大いに役立つはずです。
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