なぜ「ニッポン(NIPPON)」なのか?
五輪のような機会があると何かと意識するのが、国名ではないでしょうか。テレビの中継を見ていると、<JAPAN>や<JPN>とローマ字で表示されたり、「がんばれ、ニッポン」「ニホンの選手たち」といった言葉が飛び交ったりするわけですが、なぜ日本切手の国名表記には<JAPAN>ではなく、<NIPPON>と表記されているのでしょうか。これには昭和39(1964)年の東京五輪で<NIPPON>が使用されたことが関係しているのです。
明治時代は<JAPAN>表記だった
日本切手に初めて国名が入ったのは、明治9(1876)年のことでした。当時は「大日本帝国郵便」を英訳した「Imperial Japanese Post」が入っていました。ところが、明治32(1899)年の普通切手から英語表記はなくなります。日清戦争と日露戦争のあいだの時期に当たります。まさかの<JAPON>表記案?!
ふたたびローマ字表記が入ったのは戦後のことでした。万国郵便連合(UPU)という国際機関があるのですが、ここの昭和39年(1964)年のウィーン大会議で、加盟各国の切手にローマ字表記を義務付けることにしました。日本政府は昭和40(1965)年9月10日付けで承認し、翌年から切手にローマ字表記を入れることとしたのです。当時出てきたアイデアの中には<JAPAN>のほかに、フランス語の<JAPON>(ジャポン)にしようという案もありました。郵政の公用語がフランス語という理由なのでしょうが、もし実現していたら、ちょっとおしゃれですね。<NIPPON>表記で決定!
ただ、世界の国の中には、英語やフランス語などの主要言語にこだわらずに、自国語でローマ字表記する例も珍しくありません。『ビジュアル世界切手国名事典』(日本郵趣出版、2013年)によると、例えばアイルランドは「エァル(Eire)」、クロアチアは「ホブラスカ(Hrvatska)」と表記します。日本も同じで、最終的に<NIPPON>が採用されることになりました。昭和39(1964)年の東京五輪を機に<ニッポン>という呼称が使われてもなんら支障がなかったこともその理由の1つとなりました。<NIPPON>表記の切手の第1号は、魚介シリーズ「イセエビ」(昭和41(1966)年1月31日発行)です。(参考:『切手バブルの時代』(内藤陽介、日本郵趣出版、2005年))
誤発売のあった魚介シリーズ「イセエビ」
「イセエビ」は魚介シリーズの最初に出た切手です。ですから、魚介シリーズはすべて<NIPPON>表記で統一されています。当初は1月10日発行の予定でしたが、発行は3週間延期されました。青森・四国の一部の郵便局で誤って当初の予定通り、1月10日に一部を販売してしまったため、<NIPPON>表記の切手が世に出たのはこの日だと言えるかもしれません。半年遅れの<NIPPON>表記の普通切手
一方、普通切手は<NIPPON>表記の切手が出るまでに約半年ほど時間がかかりました。当時、すでに郵便料金の値上げが予定されていたためで、7月1日の料金改正に合わせて一斉に発行されました。ちなみに普通切手の<NIPPON>表記の第1号は先行発売された6月20日発行の新動植物国宝切手「根本中堂」60円と「音声菩薩」200円になります。なお、この7月1日は郵便史の上で重要な日で、定形郵便物と定形外郵便物の区別ができた日に当たります。当時の郵政省は高度経済成長期の中、急増する郵便物に対応するため、機械処理に適した封筒の規格化などを推進していたのです。2016年11月4-6日に浅草で開催される<JAPEX2016>(第51回全国切手展)では、「新動植物国宝切手50年」の企画展示があり、まさにこの時代の専門コレクションが並ぶので、関心のある方はぜひご参観ください。
<ニホンユウビン>ではありません
ちなみに、全国に約24,000の郵便局を展開するあの会社の読み方ですが、「ニホンユウビン」ではなく、「ニッポンユウビン」と読むのが正解です。これは切手収集家でも間違える人が多いのですが、ぜひ社会常識として知っておきたいところです。いかがでしたでしょうか。やはり五輪となると、のちの時代にも影響をもたらすことの好例ではないかと思います。今度の2020年の東京五輪が切手や郵便事業に何らかの影響をもたらすのは確実と見られますが、具体的にどんなことが起きるのかは今のところ未知数です。