「しつけのため」という理由で、子供を山中に置き去りに……
「しつけのため」という理由で、山中で置き去りに……
今回の件では、「幼い子をしつけのために山中に置き去りにした」という残忍さがメディアでも大きく取り上げられ、「置き去りは虐待だ」という声がたくさん上がっています。なぜ、「しつけのために置き去り」という発想になってしまったのか? しつけとはどうあるべきなのか? 子供の心の発達を踏まえた「しつけのあり方」を検証していきます。
「子供は痛い目に遭わなければ学ばない」という親の迷信
警察の調べによると、大和君はこの日、家族4人で近くの公園を訪れました。しかし、小石を人や車に投げつけるなどしたため、両親が「悪いことをするとこうなる」という意味を込め、現場の山道で大和君を車から降ろしたそうです。「悪いことをするとこうなる」
これはしつけの発想として正しいでしょうか? 子供は、痛い目、イヤな目に遭えば、「もう悪いことはやめよう」「良い行いをしよう」と学ぶのでしょうか?
心理学の研究でも分かっていますが、子供は悪い手本にさらされることでは学びません。良いお手本に触れることで学んでいきます。
いまだ根強く信じられている
「厳しくしないと、子供は言うことを聞かない」
「痛い目に遭わなければ、分からない」
というのは、しつけの迷信です。「しつけ」には、親の信念が色濃く反映されるので、その段階で間違ってしまうと、今回のような大きな騒動を巻き起こすことになります。
「子供の置き去り」 実は対岸の火事ではない!
「しつけの本質」を押さえていれば「置き去り騒動」は二度と起こらない
それは何かというと、「閉め出し」です。
- 子供が何か悪いことをしたとき、玄関の外に出したことはありませんか?
- 小さい頃、押入れの中に閉じ込められた思い出はありませんか?
親が子供に「外に出て反省しなさい」と玄関から閉め出すとき、親はその子に反省を促す目的でやるケースが多いのですが、外に出された子供は、近所に響き渡る声で泣き叫ぶのが精いっぱいで、反省どころではありません。「反省した?」という問いに「うん」と答えるかもしれませんが、それは「外に出されたくないから」という理由であって、正しい反省ができているわけではありません。
反省ができていないばかりか、親の行動から、別の悪いことを学んでしまっています。それは、
「イヤなことがあったら、パパママがやったように、外に排除すればよい」
ということ。
「外で反省しなさい!」を繰り返すことでの子供への二次的影響
一見、親は反省を促す目的で外に出しているように見えますが、実際は、もう目の前のことから「逃げたい」「向き合いたくない」、だから外に出して、とりあえず現状から目をそむけたい、これが本音ではないでしょうか。しかし、このような形で、親が「困ったときには排除する」という行動を繰り返すと、子供もその手法を自分にも取り入れるようになってしまいます。たとえば、
- 友達や兄弟などと衝突があると、その子をのけ者にする
- 嫌なことがあると、自分から距離を取る、自室にこもる
今回の置き去りの残忍さはもちろん論外ですが、「閉め出し」も同様です。軽いからOK、重ければダメというものではなく、そのどちらもが子供に悪影響。今回の一件は、その点からも、大きな教えがあったように感じています。
しつけに厳しさは必要です。しかし、その厳しさは愛情のある毅然さです。今回の事件のように、厳しさが”手荒な”方向に行かぬよう、気をつけていく必要があると思います。
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