蕎麦、鰻、天ぷら、すしの共通点とは?
今回、取り上げるのは蕎麦、鰻、天ぷら、すしに洋食というメニューだが、そのうち、洋食を除く4品には2つの大きな共通点がある。ひとつはいずれも江戸時代に誕生したメニューであるということ。もうひとつは江戸という立地で生まれたメニューであること。それ以外にもいずれも当初はファーストフードとして生まれたことなどいくつかの共通点があるが、本題から外れてしまうので、ここでは省略する。江戸の四大名物食、蕎麦、鰻、天ぷら、すしはここで書いた順番に誕生した。いずれも周辺に材料が揃っていたことから名物になったもので、たとえば当初はうどんが主流だった江戸で蕎麦が逆転、多く食べられるようになったのは蕎麦、醤油の産地に恵まれていたため。蕎麦は信州、上野(今の長野県、群馬県)を中心に江戸近郊、近いところでは練馬、中野、西ヶ原などでも生産されており、今も蕎麦で有名な深大寺も当時の産地のひとつだ。蕎麦は凶作時にも収穫が見込める救荒作物でもあり、水利に乏しい台地が多く、畑作が8割を占めていた関東地方にぴったりの作物だったのだ。
醤油は江戸初期、関西から運ばれてきた下り醤油と呼ばれる薄口が主流だったが、やがて野田、銚子(いずれも千葉県)など関東エリアで産する地回り醤油と呼ばれる濃口が中心に。それが蕎麦に合い、きりっと粋な味わいが江戸っ子に受けた。
蕎麦以上に周辺環境に影響されていたものの、現在では全く想像できなくなっているのが鰻だ。今、鰻の産地と聞くと静岡県浜松市を思い浮かべる人が多いと思うが、江戸時代には浅草川(隅田川の吾妻橋から下流)や深川辺りが産地で、この周辺から羽田にかけて獲れた鰻を江戸前として珍重した。今、江戸前というとすしと思うが、この言葉は元々鰻のために生まれた言葉なのである。ちなみに現在の浜松市は鰻の消費量では全国トップレベルだが、生産量はかなり少ない。
また、天ぷら、すしは目の前に豊富な魚種が獲れる海があってのこと。特に天ぷらは関東大震災後、関西の料理店が関東に進出してくるまでは魚を揚げたもののことだけを指し、野菜を揚げたものは精進揚げと呼ばれた。いかに江戸が魚に恵まれた街だったかが分かろうというものだ。
歴史のある街には江戸、大正のメニューが揃う
もうひとつの洋食は明治以降に日本に入ってきたもの。といっても一般の人が気軽に外で食べられるようになったのは明治も半ば以降になってから。さらに進んで大正時代にはコロッケ、とんかつ、カレーが三大洋食と言われた。
つまり、ここまで挙げてきた5品は日本の外食の中では古いものばかり。当然、こうした店が揃っている街は江戸時代から続く古い街ということになる。
代表的なのは浅草だ。なにしろ、浅草にはすしや通り商店街というその名もずばりな通りがあり、現在も全体の約7割が飲食店。最盛期の明治末には100mほどの通りに18軒もの寿司店があったとか。もちろん、蕎麦、鰻、天ぷら、洋食も名を上げるまでもなく、老舗、有名店が集まっており、ポーカーでいえばロイヤルストレートフラッシュみたいなものである。
浅草以外では人形町、銀座、上野、神田、神楽坂なども同様に5メニューが揃っており、中には江戸、明治創業などという店があることも。
ただ、下町だけに揃っているかといえばそうでもない。昭和の早い時期の創業も含めて考えると、都心から離れた郊外の中心地、リゾート地などにも5メニューが揃う街がある。
たとえば鎌倉は江戸中期から観光地化、明治以降は避暑地として栄え、昭和に入ってからは作家が多く住んだという歴史から、彼らが愛した名店が多く残されている。ただ、鎌倉の大正時代を知る人の記憶によると、残念ながら街の洋食店はできてもあまり続かず、別荘族は海浜ホテルなど、もっとしゃれた場所を選んだらしい。
また、郊外の中心地でいえば埼玉県川越市や千葉県香取市の佐原などといった、江戸から明治、大正と栄え、旦那衆がたくさんいた街では、そうした人達の舌を満足させていた美味しい店が残っており、特に鰻の名店は数多い。江戸では江戸前を珍重したが、かつては荒川、利根川や印旛沼などでも鰻が獲れたため、前述の2カ所以外でも埼玉県、千葉県には鰻が名物という街はあり、有名なところでは埼玉県の浦和界隈や千葉県の成田山新勝寺周辺など。特に埼玉県では駅から離れた場所にぽつんと老舗の鰻屋があり、非常に混んでいて驚かされる。
昭和以降にできた街も、下町5品で雰囲気がわかる
江戸時代から昭和前半までに作られた街、繁華な街には5品が揃っていることが多いわけだが、東京にはそれ以降に作られたたくさんの街がある。そうした街を見る場合にも、下町5品をチェックしてみると、いろいろなことが分かる。
たとえば、公益社団法人全国生活衛生営業指導センターのデータによると回転すし、宅配すし以外の個人経営のすし店は平成に入って以降減少傾向が続いており、特に小規模店の廃業が目につく。また、食費中ですしへの支出が多いのは60歳台を中心に高齢者。一方で出前をやっている店が9割近くあるとなっている。
つまり、個人経営の、宴会などのニーズのなさそうな規模のすし店は出前、周辺の高齢者ニーズで成り立っている可能性が高いわけで、それはイコールその街の住民層とも重なる。ただし、一見なんでもなさそうな小さな店が実は知る人ぞ知る名店ということもあるから、その辺りのチェックは必要だ。ちなみにすし店だけでなく、鰻店、蕎麦店も出前ニーズは高く、店には人が入っていなくても長年営業を続けていられるのはその辺りに秘密がある。
蕎麦店はすし店に比べると店舗数にはあまり変動がなく、安定しており、最近では定年後に趣味の延長として出店する人なども増えている。ただ、現在でも数としては下町エリアに多いのが面白いところ。東京都麺類協同組合の加盟店を見ると墨田区68店、台東区69店、江戸川区71店などに対し、新宿区56店、渋谷区38店など。市部はさらに少なくなっており、全数ではないにしても、いまだに下町の人のほうが蕎麦好きのようだ。
鰻、天ぷらは他に比べると高額になることが多く、そのためか、蕎麦、すしに比べると数自体が少ない。当然だが、外食にそれなりのお金を払える人がいる街にしか立地できないわけで、この2店がある街は住宅価格もそれなりと想定される。実際、食べログで東京、天ぷらでランキング100位までを見ると銀座、日本橋その他都心部が大半で、それ以外で出てくるのは目白、広尾、吉祥寺、江戸川橋、雑司ヶ谷、北品川などなど。それほど多くはない。
ちなみに北品川、大森町その他品川周辺の旧東海道周辺には天ぷら店が多いが、それはかつて漁港だった歴史から。芝海老は芝浦周辺で獲れ、穴子は鮫洲から浜川町(現在の品川区東大井から南大井辺り)の産が有名だったとか。今、街にその面影を見るのは難しいが、天ぷら屋に入ればイメージしやすいかもしれない。もちろん、江戸前の天ぷらは間違っても出てこないが。
これらに比べると洋食店は価格も雰囲気もばらばら。ざっくり二大別するとそれなりの価格で手の込んだ料理を出す下町の老舗と、手頃でボリュームたっぷりの学生街など若い人が多い街の洋食店ということになろうか。店の雰囲気から街の雰囲気が分かるというものだ。
さて、最後にこうした情報をチェックする方法を。実際に現地に行ってどんな店があるかを確認するのがベストだが、事前に調べるとしたら食べログその他の食情報サイトが便利。そこで5種類が揃うようなら、歴史のある街という可能性があるし、蕎麦店、すし店はあるがそれ以外がないなど種類、数が少ないとしたら、庶民的な、あまり繁華ではない街だろう。また、店はあっても個人店ではなく、すべてチェーン店だという街は新しく開かれた街である。
どんな街が好みかは人によるが、自分の好み、予算に合う店があるかどうかは外食する人なら大事なポイント。歴史とともに胃袋とも相談、楽しく住めそうな街を探そう。