隔絶されてしまった被災エリア
破壊された庁舎の敷地内。電源車が倒れている。
熊本はなぜか以前から縁のある場所であり、数年前には今回最も被害の大きかった益城町に隣接する菊陽町で防災講演を開催しています。その際に現地周辺の自然環境や地質についての資料なども調べているので「地震災害に弱い地域」という印象があったのです。二度目の震度7があった時「行けなくなるかもな」と予測した通り、予定していた熊本空港は閉鎖。他の被害のない空港から陸路車を走らせるしかない状況になりました。もっとも懸念していた大規模な「土砂災害」が発生し、高速道路は使用不能に。早朝に鹿児島空港に入った後、タクシーを乗り換えながら7時間。現地の悲惨な状況が見えてきました。
避難所の厳しい現実
到着した翌日の日曜日、益城町の災害対策本部のある福祉センターでは、ボランティアから食事の配給があるということで、センター入り口前には長蛇の列が出来ていました。配給されるのはおにぎり1個に汁もの1杯。それでも数百人の住民が延々と配給を待っていました。聞くと3時間も前から並んでいると言います。その時は列の途中で品切れを起こしてしまい、配給はそれで打ちきりという状況に。手に入らなくて入り口で途方にくれていた杖をついた高齢のおばあさんに「あんたもっと早くならばなきゃ何ももらえないわよ」という、同じく高齢の住民の会話に胸が締め付けられる思いがしました。
その後、ちょっとした運営とのいざこざがあり、結果的に次の日から引換券が配られるようになったようですが、経験の無い人には想像つかないほど、避難所の環境は悲惨な状況に陥ります。
配給のために避難所前に並ぶ住民。
車中生活を選ばざるをえない住民
実は益城町の避難所は当初、別の場所が設置されていました。しかし二度目の大きな地震によって庁舎や体育館など多くの避難所が破壊されてしまい、益城町は避難住民の行くところが無くなってしまったのです。そのため福祉センターは玄関や受付のスペースなどあらゆる場所に住民があふれることになってしまいました。そこで住民が選んだのが車中避難という方法。熊本は車社会が発達していて、一家に数台車を持っているのも珍しくありません。避難所のトイレを使い、配給などを受けるために、避難所の駐車場はもちろん、周囲の道路には住民が生活物資を積み込んだ車がびっしりと停められていました。
車中生活が続くと「エコノミー症候群」という重篤な病気にかかる可能性が高いのですが、実際に避難所の環境の劣悪さを目にすると「車で寝たほうがまし」と思ってしまうのは無理のないことと思いました。余震が続く中「建物の中で寝るのは不安」という人も多いことと思います。
上層階から崩れた宇土市役所。耐震性の低い古い建物だった。
熊本地震に何を学ぶべきなのか
熊本地震はこれまでの「地震の常識」と呼ばれていたことをことごとく覆しています。内陸部で震度7もの大きな地震が発生した後は、それよりも規模の小さな地震がいくつか発生する可能性はあるものの、ゆるやかに収束するものというのが常識でした。震度7の大きな地震が発生した28時間後にそれをはるかに超える規模の震度7が発生するなどというのは過去に例がありません。そのため、最初の「前震」で無事だった家屋がことごとく破壊されてしまい、家に戻っていた多くの住民が被害に遭ってしまったのです。
九州はもともと「地震の無い場所」と思っていた住民が多かったはずです。九州地方で近年、記憶にあるのは福岡県の西方沖地震くらい、阪神淡路大震災クラスの大きな内陸型の地震があるとは、住民は露ほどにも思っていなかったはずです。さらに震源域が熊本から阿蘇、そして大分の方にまで移動しながら被害地域を拡大させたのも今回初めてのことでした。火山灰が積もった地盤の弱い阿蘇地方では大規模な土砂災害が発生。雨の多いこの地域ではこの後の二次災害にも気をつけなければなりません。
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この原稿を書いているのは震災発生から二週間後。熊本空港は再開され、新幹線や高速道路の一部が開通し、インフラの復旧のニュースが続いてはいますが、地域の水や物資、生活用品の不足は解消しているとは思えません。
主要な指定避難所の環境は改善されているようですが、現地には他にも数百の自主避難所、支援の必要な人が入所する福祉避難所があり、自分にも現地からのSOS情報が届いてきます。今、日本ではどんな場所にも大きな地震が発生する時代に入っています。くれぐれも油断せずに準備をしておくことが自分と家族の生命を守る唯一の手段なのです。
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