一人暮らしの部屋を引き払い、実家に帰って1年母の介護に専念
これからはじめる貯蓄が、あなたの未来を救ってくれるかもしれません。
ガイド西山は、フリーランスになる前の20代に、会社員として猛烈に働いていました。そんな27歳の初冬。実家の母に、突然がんが判明しました。検査の結果、既に転移がある状態で、もはや手術もできない進行したがんだったのです。
まさか、最愛の母が…。
呆然としながら、職場の上司に「実家の母がこういう状況で…休みをいただく日が増えるかもしれません」と伝えました。上司は非常に心配して、少したって「介護休職という制度もあるよ」と教えてくれました。
当時、社内で取得したことがある人はほとんどいないようでしたが、介護休職とは、家族の介護のために休める制度。会社によって独自の制度もあるようですが、当時の私の勤務先では、有給休暇消化後は、お給料はなし、社会保険料は自分で支払う必要があるとのことでした。
つまり、収入は途絶えます。しかし、社会保険料を支払う必要があります。私は「ぜひ介護休職を取得したい」と強く思いました。母の病気が判明した当初、父が「仕事をやめて母の看病に専念したい」と言っていたのですが、母が「私がいなくなった後、お父さんに仕事がなかったら、さらに落ち込んでしまいそうで心配。仕事はぜひ続けてほしい」と願っていたのです。
私のお金の面は、新入社員時代から財形貯蓄等で貯めていたこともあり、幸いなことに数百万円の貯蓄がありました。つまり年収分くらいはある。心配はいりません。ただ、大切な母と過ごせる最期の日が刻々と迫っています。
職場が忙しい時期に突然休むことは非常に申し訳ない思いでしたが、上司と相談を重ね、介護休職を取得できることになりました。先輩、同僚、後輩のみなさんは、「大変だと思うけどがんばって」と、こころよく送りだしてくださいました。
期限は、“母を看取るまで”、です。
会社を出るときに、「次に出社するときは、母はいないのか…」と思ったのを覚えています。
一人暮らしの部屋を引き払い、実家に引っ越し、看病が始まりました。ほどなくして抗がん剤の副作用が辛いため、やめることになりました。残された道は、緩和医療のみ。主治医から「そろそろホスピスを探す時期ですね…」と言われました。父母が少し離れたところにあるホスピスを探して見学に行きました。素晴らしいホスピスだったそうですが、母にはあまりしっくりこなかったようです。「家で過ごしたかったな…」とつぶやいてました。母は、庭の花を育てるのが大好きで、大好きな家や家族から離れるのがつらかったのです。
当時、私の妹は大学生で、実家から遠く離れたところで下宿していたのですが、「『在宅医療』という方法がある」と調べてきました。
でも、なにせ10年以上も前のこと。「在宅医療」という言葉を、私はそのとき初めて聞きました。在宅医療をしている先生を家族で探し、幸運なことに、実家から車で10分ほどの病院を見つけ、お願いをしにいきました。
ところが先生からは、「在宅医療は、家族のサポートも相当必要なので大変だと思います。覚悟が必要なのできちんと考えてください」と、最初は断られそうになりました。でも、母の「家で最期まで過ごしたい」という強い願いと、「娘(の私)がサポートに専念できる」という状況をくみ取ってくださり、「わかりました!」と、うけてもらえることになりました。これも、会社の介護休職を取得できたおかげでもありました。
毎月マイナスの金額の給与明細が届く
在宅医療では、母の場合は週2回の診察があり、先生と看護師さんがいらっしゃいます。母は、先生や看護師さんと話をする時間がとても楽しいようで、他の日はひどく調子が悪い日でも、その日になると「今日は先生がいらっしゃる日だね」と元気になり、庭の花をゆっくり摘みながらワクワクとしていました。リラックスした雰囲気で、私もモルヒネなど投薬の種類やタイミング、方法などを教えていただきました。いよいよ口から食事をとれなくなり、肩のあたりから補液を入れる手術をした後は、輸液パックを交換するタイミングも教わりました。家で過ごせるありがたさ。
最期まで家で過ごせるという願いが叶った母はもちろん、私も父も、遠くに住んでいる学生の妹も、ありがたい気持ちでいっぱいでした。
一方、母はときどき涙することもありました。「あなたが会社で働いていたら、お給料もいただけるのに…ごめんね」「あんなに仕事が好きなのに、看病に専念してもらって、申し訳ない」と。
私は、「貯蓄はたくさんあるから心配しないで」「仕事はいつでも、またできる。お母さんと一緒にいられるのは今しかない」という話をしました。事実、心からそう思っていたのです。私自身のお金については、貯蓄さえあれば今のところ何の心配もいりません。
毎月「マイナス5万円」「マイナス7万円」などと書かれた給与明細書が届きました。収入はありませんが、社会保険料や住民税の支払いがあるのでマイナスの金額になるわけです。それを見ながら、毎月毎月振り込んでいました。でも、会社に籍を置いてもらえるありがたさを感じていました。母と家族と、最期の時間を過ごせることが、ただ幸せでした。
母は、「やりたいことはたくさんあった、病気になったことは悲しいできごとだった。でも、本当に幸せだった」と何度も言いながら、旅立ちました。
最悪という状況の中で、最善の道を選ぶことができたこと。それは、在宅医療の先生方や職場の上司・同僚のみなさんのおかげでした。そして、“貯蓄”があったことも、その要因の一つだったと感じています。
数百万円の貯蓄があれば、しばらく(当初は、病状からして半年くらいと思われていましたが、楽しい時間を過ごせたからか1年近く一緒にいられました)収入がなくても大丈夫だと、背中をぐっと押してもらえたのです。
(実際は看病の日々だったため、あれこれ買い物をしたり飲みにいったりすることはなく、いつもの1年間のようにお金を使うことはなかったのですが…)。
看病の日々は、お別れの日が刻々と近付いていることは確かで、精神的には辛いことも多くありました。それでも、母と一緒に過ごせたこと、そして家族全員で母の最期を看取れたことは、最悪な状況の中での最善の道であり、10年以上たった今に至るまで、自分の心の支えになっています。
お金のせいで、大切なことをあきらめてほしくない
人によってそれぞれ、仕事や家庭、考え方、状況は異なりますので、何が一番いいとは一概に言えません。でも、困った時に救ってくれるもののひとつに、“貯蓄”があることを思い知った出来事でした。もし貯蓄が0円だったら、会社を休んで実家に帰ることなど考えられなかったと思うからです。春から、社会人になる方もいらっしゃると思います。また、今までは貯められなかったけど「春からは貯めよう!」と気合いを入れている方もいらっしゃると思います。
今から貯めはじめたお金が、将来自分が岐路に立たされたときに、救ってくれるかもしれません。「あのとき、貯めておいてよかった」と思うかもしれません。
ガイド西山の例はちょっと極端だったかもしれませんが…これから貯めていくお金が、将来のスキルアップ、資格取得、転職、一人暮らしなどの引っ越し、結婚や出産、子育てなどの場面において、きっと役立つことでしょう。
“貯蓄”は、使うべきときに使うための“お金”という意味合いだけでなく、”前に一歩踏み出すという勇気”もくれるからです。
お金のせいで、大切なことを諦めてしまってはもったいない。
この体験談が、読んでくださったあなたの貯蓄のきっかけとなり、その貯蓄が将来いい方向に役立つことがあればと、切に願っています。
(ガイド西山注)現在は「育児・介護休業制度」が改正されています。要介護状態にある家族を介護するために、対象家族1人につき合計93日まで休業できるなどの条件があります。また、条件を満たすと雇用保険法により、介護休業給付(最長3カ月間まで、休業開始前の賃金の約4割にあたる額)が支給されます。独自の制度がある会社もあるので、勤務先等に詳細を確認することをおすすめします。