5年前に発生した東日本大震災は、未曾有の規模であったため各分野で様々な混乱が発生しました。住宅の世界でもそれは同様で、最も混乱の度合いが深かった分野の一つだったといえるのではないでしょうか。今回の記事では、震災当時から今に至るまであまり語られてこなかった、住宅事業者、中でもハウスメーカーがどのような取り組みをしていたか紹介します。そこに、本当に災害に強い住まいづくりとはどのようなことなのか、について理解するヒントがあるはずです。

災害時に「相談できる相手がいる」安心感

結論から申し上げると、住宅事業者たちは「良くやった」と思います。その活躍は行政や警察、消防、自衛隊などと比べても全く遜色がなかったと考えられるからです。なぜなら、国や自治体の関係者と同様に、被災地においてガレキをかき分け、汚泥にまみれながら活動していたからです。

震災当時

東日本大震災から1週間程度が過ぎたの宮城県石巻市内の様子。このような状況の中、ハウスメーカーなど住宅事業者の関係者は顧客の安否確認や支援に向かった(写真はアキュラホーム提供、クリックすると拡大します)

ハウスメーカーは、特に阪神淡路大震災以降、何らかの災害が発生した場合、必ず自分たちが建てた建物の被害状況、さらにはそのオーナーの状況を確認します。これは、東日本大震災の際にも同様でした。

ですから、比較的早い段階から水や食料などの支援物資を携え建物の所在地に赴き、必要とあれば避難所にも足を運んでいたといいます。で、しばらくすると、住宅再建をどうするかに話が及びます。その際も、ハウスメーカーの人たちが頼りになったといいます。

被災地では自治体自体も混乱していますから、住宅支援の情報についても当然、錯綜(さくそう)していました。その中で情報整理し、住宅ローンなど様々な再建案をいち早く提供できたのが彼らでした。

一般的な住宅に住んでいる方々の場合、あのような災害では住宅再建について誰に相談していいのかがまず問題になるわけです。実際に再建できるかできないかは別にして、「相談相手がいる」というだけでも、当時は安心できる材料になったはずです。

これは大手ハウスメーカーの組織力ゆえにできたことで、工務店など地場の住宅事業者には難しいことでした。なぜなら、彼らの多くが同じく被災者だったため、オーナーの面倒まで手が回りづらかったからです。

また、仮に被災を受けていなかったとしても、当時は建築資材の確保が大変難しい状況であり、修繕をしようとしても対応が難しい状況でした。それは、津波の被害を受けた地域以外で屋根にブルーシートを掛けた状態の住宅が、震災後1年を経ても残っていたことから見えてきます。

災害時の対応力も依頼先選びの選択軸になる

東日本大震災では東日本地域の広い範囲が強い揺れに見舞われ、屋根瓦が落ちるといったケースが多数発生しました。しかしながら、当時は瓦を生産する事業者が減っていたこともあり、住宅事業者はその調達が難しい状況に直面したのです。さらに、瓦職人の確保も難しい状態でした。

職人

被災地復興では、大工さんや職人さんの確保が大きな問題となったが、ハウスメーカーでは遠隔地から動員し、確保に努めた(写真はイメージ)

大手ハウスメーカーでは、こうした状況にあってもいち早く調達をすることが可能だったため、そのオーナー住宅への対応は比較的早く済ませていました。このあたりの事例も、組織力や事業規模の違いが、災害時の顧客対応に表れるということを表しています。

ただ、ここまで読んで誤解していただきたくないのは、「だからハウスメーカーを選びましょう」というわけではないことです。住まい選びは様々な判断基準があっていいはずですが、その中で災害時の顧客対応も考慮の一つとしてありえる、ということなのです。

ハウスメーカーに比べ工務店は住宅をより手ごろな価格で供給する有力な住まいの担い手。中にはハウスメーカー並の対応が期待できる事業者もいます。ですから、「この人たちに任せたら、災害時でも頼りになる?」という視点で、依頼先を決めるのもアリなのではということなのです。

また、ハウスメーカーの住宅は高額というイメージが強いですが、高額であることの背景には災害時における対応の違いもあるのだということを、是非ご理解いただきたいのです。住宅というのは、このように様々なモノの見方ができるものなのです。

さて、「応急仮設住宅(仮設住宅)」のことに触れます。これについても、あまり語られてこなかったことがあります。

現在、皆さんは仮設住宅についてどのような意見をお持ちでしょうか。「狭くて不自由な建物に住まわれている被災者の人ってかわいそう」「老朽化が激しそう。何でもっと良い建物にしてあげなかったの」などと、マイナスイメージをお持ちではないでしょうか。

仮設住宅の円滑な建設を阻んだ二つのこと

しかし、震災当時は被災者の方々はもちろん、国民全体から「早く建設を」と仮設住宅を切望する声が上がっていたことを記憶されているはずです。当時の民主党政権はそうした声に押されたこともあり、早期の仮設住宅建設を進めたという経緯があります。

仮設住宅

石巻市内にある仮設住宅団地の様子。建物には寒冷地に対応する風除室が設けられている。これは当初から計画からあったものではなく、完成後や施工中に取り付けられたものだ。その施工は過酷なものだったが、誤解を主因とする様々な批判が飛び交った(クリックすると拡大します)

最終的な数は約5万戸以上。その建設は過酷を極めました。「過酷」という理由の第一は環境面。建設に従事する人たちの宿舎が確保しづらく、毎日遠方から片道数時間をかけ現場に通い、夜遅くまで作業するという状況でした。

被災地周辺の宿泊施設はどこも応援に来た自治体や警察、消防などの関係者で一杯の状態であり、だから建設関係者は一つの部屋に何人も雑魚寝で過ごしていたといいます。その中で5万戸の仮設住宅を建てた人たちに、私は正直、頭が下がる想いです。

第二の理由は、世間の仮設住宅建設に関する誤解がひどかったこと。「仮設住宅を請け負っている事業者は暴利をむさぼっている」「ハウスメーカーばかりが建設に従事するのはけしからん」という人たちさえいました。

仮設住宅の建設は、国や自治体から依頼を受けた住宅関連団体が中心となって取り組んでいましたが、そうした団体の事務所にわざわざ街宣車を仕立てて批判をしに来る人たちもいたくらいです。

仮設住宅は「1戸あたりいくら」という国の決めごとがあり、その範囲の中で建設されます。寒冷地対応にするために建設途中から仕様の変更などもあったことから、建設にあたったハウスメーカーには利益はほとんどなかったといいます。

このほか、彼らは通常の住宅建設のための人員を仮設住宅に回したり、工場の生産ラインを仮設住宅の部材生産に裂くなど、様々な対応に迫られました。このような状況でしたから、少なくとも「暴利をむさぼった」事実はありません。

東日本大震災の混乱を繰り返さないために

このほか、「従来型の仮設住宅では地域コミュニティが失われる」とか、最近では「仮設住宅は不良施工が多かったのではないか」とか。確かにそうした懸念や事例はなかったわけではないですが、このあたりも誤解に満ちています。

セキスイハイム工場

2011年6月のセキスイハイムの工場(埼玉県蓮田市)の様子。シートが掛けられているのはほとんど仮設住宅向けのユニットだ。仮設住宅の早期建設のため、生産ラインの一部をあてるなど、ハウスメーカーが全力で取り組んでいた事例(クリックすると拡大します)

コミュニティ問題は国や自治体が対応すべきことで、建設者がどうこうできることではありません。また、施工の質の問題は仮設住宅がそもそも2年間生活することを前提に造られているため、4年以上の使用が想定されていないということがあります。

このあたりの誤解は当時、マスコミの勉強不足、取材不足が招いたことと感じられ、被災地の住宅復興、中でも仮設住宅建設に余計なプレッシャーを与えてしまう結果となり、当時、私は非常に残念に感じていました。

ともあれ、東日本大震災による仮設住宅の建設は、既存の仮設住宅メーカー、ハウスメーカー、全国の住宅事業者が協力してなしえたことで、これは歴史的な事業。だから、私は冒頭の「良くやった」と思うのです。

ところで、なぜ今このような話を紹介するかというと、次の大災害、例えば発生すれば大きな被害が予測されている首都圏直下型地震や東南海トラフ大地震が発生した際に、東日本大震災当時と同じような混乱を招いてほしくないと考えるからです。

ただでさえ大混乱になる災害時。誤解に基づく情報が、復旧や復興のスピードを遅らせることになるのは、大変不幸なことではないでしょうか。ですから、皆さんに災害時にハウスメーカーなど住宅事業者がどのようなことをしていたのかを知っていただくことが、次の大災害の際に社会によって役に立つことだと思い、今回紹介してみました。

常々申し上げていることですが、住まいは人が造るもの。大災害時にそれを復旧・復興させることも同様なのです。

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