池之端4丁目の清水坂から三段坂へ

上野のお山に向かって歩いていく。住居表示は池之端四丁目。カーブを描いてのぼっていく清水坂がある。
弘法大師にちなむ清泉が湧いていたので坂名になったそうだ

清水坂 台東区上野公園から池之端にかけて

台東区の説明板だ。大きく坂名が書かれ、側面に坂の説明が書かれている。それによれば、坂の近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いており、坂名はそれに由来したらしい。かつてこの一帯は樹木が生い茂っていて昼でも暗かったため、別名「暗闇坂」ともいったそうだ。

この坂をまっすぐ進むと、三段坂の下に出る。なるほど、よく見ると三段になっている。それぞれの段は横切り道があり、そこが平たくなっているのだ。
坂が三段になっているので、この名前がつけられた

三段坂 池之端4丁目

坂の上に案内板がある。坂の上から下を見るとこんなかんじだ。
坂の下を見たところ

三段坂の坂上にある案内板

三段坂から言問通りまで出ると、王林寺という寺があって、その前に台東区が建てた旧町名の説明板がある。このあたりは、谷中坂町といったそうだ。


言問通りの弥生坂をのぼる

言問通りと不忍通りが交わるのが根津一丁目の交差点。言問通りを本郷台地方向へあがるのが弥生坂だ。
根津一丁目から弥生2丁目にかけた坂

弥生坂(鉄砲坂)


かつてこのあたりが、向ヶ岡弥生町と呼ばれたことで、弥生坂という坂名が付いたようだ。文京区の説明板があるあたりから、坂下の不忍通り方向を見たのがこちら。
かつてこのあたりの幕府鉄砲隊の射撃場があったので、別名「鉄砲坂」と呼ばれていた

弥生坂の途中から坂下を臨む

ちょっと隠れて見えないが、上の画像、左側に文京区の説明板がある。ちなみにこのあたりの貝塚から出た土器が、ここの地名から弥生式土器となった。


三浦坂を経て、さんさき坂から団子坂へ

再び不忍通りに戻る。不忍通りふれあい館という文京区の施設がある。ここに寄って、マップなどを入手するといいだろう。この建物の裏側の路地を抜けていくと、三浦坂の下に出る。ここにも台東区の説明板があるが、これまでのとは少し違ったタイプのものだった。
三浦家下屋敷の前の坂なので、この名がついたそうだ

三浦坂の説明板

とても急な坂だ。細い道を登り、坂上から見るとこんなかんじの景色だ。僕がいちばん好きな坂がこの三浦坂である。
昔のままの道幅がいい

細く急な三浦坂

坂の途中にこんなユニークな看板があった。ここは以前訪れたことがある猫カフェ「ねんねこ家」がある場所だ。
営業は金、土、日、祝日の11:30~18:00

ねんねこ家 東京都台東区谷中2-1-4


三浦坂から、北に行くと、「さんさき坂」と書かれた街灯が並ぶ緩やかな坂に出る。坂下を見た画像はこんなかんじだ。
「さんさき坂」と書かれた街灯が並ぶ

坂下は団子坂下の交差点になる

漢字で書けば三崎だが、これだと「みさき」と読んでしまうので、「さんさき」とひらがな表記になっているのだろう。
漢字表記は三崎で、読み方は「さんさき」

三崎坂 谷中2丁目と3丁目の間を南東に上る坂

けっこう長い坂だ。中ほどに説明板があった。さんさき坂の名前の由来は諸説あるそうだが、駒込、田端、谷中といった3つの高台にちなむのだそうだ。
また、別名首ふり坂とも呼ばれていたそうだ

台東区の説明板には駒込、田端、谷中の台地にちなむとあった

別名は「首ふり坂」。首をふる僧がいたからだそうだ。こちらの坂名も悪くないと思う。

さて、さんさき坂を不忍通りまで降りると、そこは団子坂下の交差点だ。東京にいくつかある団子坂という名前の坂のなかでもいちばん有名なのがこちらだろう。
文京区の説明板あたりから坂下を臨む

団子坂 文京区千駄木2丁目

坂名の由来は、坂近くに団子屋があったからとも、雨の日にぬかるんで泥団子のようになるからなど諸説ある。

この坂は多くの文学作品にこの坂が取り上げられている。なかでも有名なのは江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』だろう。また、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎などがこの坂上に居住していた。