工藤公康氏、有資格1年目での殿堂入りは快挙
工藤氏は候補者1年目の選出で、恩師のソフトバンク・王貞治球団会長らに次ぐ4人目。エキスパート表彰は大毎(現ロッテ)などで通算2314安打を放った故・榎本喜八氏、特別表彰は元法大監督の山中正竹氏(68)、戦後の野球復興に尽力した元衆院議員の故・松本瀧蔵氏が選ばれた。
工藤氏の声は少しだけ震えていた。
「西武時代に渡辺久信、郭泰源といった自分が絶対にかなわないと思った選手がいた。そして、てっぺんに東尾さんがいた。近くに目標がいて、少しでも近づきたいと思った。チームも黄金時代で、野球選手として恵まれていたと思います」
黄金時代の西武でもまれ、大投手への第一歩を踏み出した。そして、ある時期から“野球研究者”としての道を歩み出す。
「持っているものがかなわなくても、何か違うことをして追いつこう。結婚したころ(28歳)からかな。理論ってみんな、なんとなくって感じ。だったら自分で学んでやろう。積み重ねたことが現役を長くしてくれた」
データや好調時と不調時の傾向を分析。まず自身を実験台にし、次に他の選手の話を聞くうちに特徴が見えてきた。科学的理論に基づいたトレーニングや栄養学を勉強し、妻の雅子さんと二人三脚で体調管理に努めた。ソフトバンクの監督でありながら、今も筑波大大学院に籍を置く。「学ぶ姿勢というものは一生忘れないでいたい」という。だからこそ、プロ野球最長タイの実働29年、通算224勝をマークすることができた。
有資格1年目での殿堂入りは、1960年のヴィクトル・スタルヒン氏、1994年の王貞治氏、2014年の野茂英雄氏に続く史上4人目の快挙だ。それもこれも、恩師・王氏と並ぶ歴代1位の日本シリーズ14度出場、西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人の3チームで11度の日本一に貢献、1986年と87年の日本シリーズ連続MVPに輝くなど、数々の功績を遺した男だけに、当然といえば当然だろう。
「メジャーに最も近い男」と呼ばれた斎藤雅樹氏
一方、昨年はわずか3票届かずに選出を逃した斎藤氏は「ちょっと期待していたけど、嬉しかった。野球を始めるきっかけをくれた母に感謝したい」と晴れやかな笑顔を見せた。小5の時、本人に内緒でリトルリーグのチームに応募したのが母・ユキ子さん(78)で、「入りたくなかった。嫌々テストを受けた」斎藤少年だったが、そこから野球人生がスタートした。
もうひとつの転機は、巨人入団1年目の1983年5月、多摩川グラウンドでの二軍練習中、視察に来た藤田元司監督に「お前の腰の回転は横手投げ向きだ」といわれ、それまでのオーバースローからサイドスローに転向したことだ。すると才能が開花。1989年にはプロ野球記録の11試合連続完投勝利を達成し、「ミスター完投」と呼ばれ、1990年にかけて2年連続20勝を挙げた。
1994年には勝った方が優勝する中日との“10・8決戦”に2番手で登板。右内転筋痛に耐えて勝利投手になり、男を上げた。とにかく全盛期には“メジャーに最も近い男”だったのだ。
連覇を狙うソフトバンクの監督である工藤氏。巨人投手コーチから二軍監督になった斎藤氏。最高の栄誉を手にした2人の今季に注目が集まる。