地方によってさまざまなスイスの建築様式
スイスの家屋といえば、木造りの三角屋根の建物を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。それはシャレースタイルと呼ばれる家で、ユングフラウ地方やツェルマットなど、主にスイスの山岳地帯で目にします。窓辺には手入れの行き届いた花が飾られ、道行く人の目を楽しませてくれます。しかしスイスの家屋は全てがシャレースタイルというわけではありません。ドイツ語、フランス語、イタリア語など、複数の言語圏から成るスイスでは、地方によってさまざまな建築様式があります。各々の土地で手に入る材料を活用し、生活様式に適した建築スタイルを発達させました。
今回はスイス各地の代表的な民家を取り上げながら、その背景にある人々の生活や文化的背景にも迫りたいと思います。
ベルナーオーバーラント地方のシャレー
「シャレー」とは木造の家で、もともと農家を指す言葉でしたが、現在はホテルや貸別荘にも使われます。スイスで人気の山岳観光地、グリンデルワルトやグシュタードなどがあるベルナーオーバーラント地方では、ほとんどのホテルや貸別荘はシャレー様式の建物です。三角屋根が建物の両側に大きく張り出し、軒下には冬に備えて薪が積まれています。凝った装飾のベランダも目を楽しませてくれるでしょう。そして窓辺には必ずと言って良いほどゼラニウムやペチュニアの花。スイスの人々は、本当に花が大好きです。
ゼラニウムの開花時期は5月から10月。夏の終わりから秋の時期でも、見事に咲き誇ります。香りが強いハーブ同様虫よけ効果があるため、スイスでは家屋の窓辺を飾る代表的な花となっています。
ベルナーオーバーラント地方のシャレーは、比較的傾斜の浅い屋根がほとんどです。冬は雪を積もらせることにより、保温効果を得ることができます。新たに家やホテルを建てる時は、外観は必ず木で覆うといった規則を設けている自治体もたくさんあります。
シャレー様式のホテルはどうしても三角屋根になるため、箱型のホテルと比べてあまり部屋数は確保できません。何階建てまでなどと高さの制限を設けている自治体も多く、一軒のホテルの部屋数は、せいぜい20室くらいと小規模になります。
ホテルとしての収益を考えれば、収容人数をより多く確保できる箱型の高層ホテルが望ましいでしょう。しかしグリンデルワルトのような場所に高層の建物が乱立したとすれば、あの素晴らしい山岳景観も台無しです。
周囲の景観に見事に融けこんだ美しい家屋が立ち並んでいるのも、細かく、厳しい村の建築規制のおかげです。スイスの人々は、山や氷河だけでなく、シャレーも大切な観光資源と考えているのです。シャレーの軒下には建築年が刻まれているものがありますので、いつ建てられたのか見ながら歩くのも楽しいでしょう。
エメンタール地方の農家
エメンタール地方はスイスの首都、ベルンの東に広がる丘陵地帯。スイスの有名な穴あきチーズ、エメンタールチーズの産地として知られています。なだらかな斜面に緑豊かな森と牧草が広がり、視線の先には白い頂のアルプスが峰を連ねる牧歌的な景観が印象的です。エメンタール地方の家屋は、両側に大きく張り出した屋根と、屋根の下の半円形のアーチが特徴です。各々の家は堂々とした広がりを持ち、住居、牛車、納屋などが同じ建物の中に入っています。
その多くはエメンタールチーズの製造で豊かになった農民が建てたものです。ここでは大きくて美しい家屋はその家の繁栄の印。人々はプライドを賭けてより大きな家を建てました。
多くの家の地下には、この地方で豊富に出る砂岩で作られた貯蔵室があります。地下室は比較的低温が保たれるため、チーズの保管に最適。そして多くの家は、乾燥牛肉などを置く貯蔵庫も母屋とは別に持っています。そこには家の貴重品も保管されていました。家の貴重品を貯蔵庫に置くのは不思議ですね。実は、昔の農家では台所が母屋にあり、そこで直火を使うためによく家事があったようです。それで貴重品は貯蔵庫に保管されるようになりました。
アッペンツェル州の家
スイス東北部、アッペンツェル地方は昔ながらの伝統が息づく地。ヨーデルをはじめとする民族音楽の宝庫とも呼ばれ、直接民主制の原型をとどめるランツゲマインデ(青空議会)が今でも毎年開催されています。この地方の中心となるのがアッペンツェル村。メインストリートを歩くと、カラフルに彩られた家並みにまず目を奪われます。そして魚の鱗のようにびっしりと張られた家壁も印象的です。雨が多いこの地方では、この工法で家を湿気や雨から守ります。
各々の住居の棟は、家畜小屋付きの納屋の棟と直角に配置されています。住居は、窓のある切妻の前面を谷の下方に向け、太陽の光線をできるだけ取り入れるように工夫しています。
小規模農家が多いアッペンツェル地方では、女性も刺繍などで副収入を得ていました。この地方の家屋の地面すれすれにある窓は、女性が刺繍をするための地下室のためのもの。地下室の一定した温度が、刺繍のような細かい仕事に向いているのです。
ツェルマット(ヴァレー州)の農家
ブリークやフィスプの国鉄駅からツェルマットへ向かう私鉄、MG鉄道に乗り換えて車窓風景を眺めると、次第にこげ茶色の木造りの民家が目につくようになります。焼け焦げたように黒くなった木製の壁と、石の屋根がとても印象的です。1階部分は石造り、2階から上は校倉造りになっている家が多く、屋根は地元の鉄平石を利用しています。重量のある石の屋根は木組みの家の重石となり、家屋全体を堅牢にしています。そして秋は黄色く色づくカラマツの落ち葉と、年輪を重ねた苔が屋根を彩ります。
農家にしては階数の高い民家が多いのは複数の世帯が住むため。この地方の厳しい冬の寒さを防ぐために、年代の古い家は窓が小さくなっています。
ツェルマットの村内には、昔ながらの家屋が保存された一画があります。16世紀から18世紀に建てられた家屋の壁には、周辺で産出されるカラマツ材を使用。マツ材は松ヤニが害虫を防ぐ効果があり、今は長い間太陽光に晒されたため黒く焼けています。ねずみ返しがついている建物が数軒あり、貴重なパンを作るためのライ麦の貯蔵庫として使われていました。
ツェルマットの教会付近にあるマッターホルンミュージアムにも、ツェルマットの古民家の展示があり、昔の人々の生活の様子が再現されています。興味のある人は、観光やハイキングの合間にぜひ立ち寄ってみましょう。
エンガディン地方のエンガディンハウス
スイス東南部のエンガディン地方には、エンガディンハウスと呼ばれるこの地方独特の様式の家屋を目にします。家屋には木材があちこちに使われていますが、外側はモルタルで隠されているため、石造建築の外観になっています。堂々とした広がりを持つ家屋の壁は、スグラフィットと呼ばれる装飾の文字や絵画で彩られています。スグラフィットは壁に漆喰を塗り、上の層の部分を削りとる技法で、中世にイタリアからヨーロッパ各地に伝えられたものです。
牛や馬など動物の絵をはじめ、家紋や職業をあらわす紋章が描かれたもの。格言や家訓などがこの地方の言葉であるロマンシュ語で書かれたものがあり、見て歩くだけで楽しむことができます。
この地方の厳しい寒さを防ぐため、エンガディンハウスの家壁は70~90cmと、とても厚くできています。窓は内側の壁の面に取り付けられ、外側に向かって大きく開いています。寒さ対策に加え、できるだけ室内に光を取り入れ、眺望を確保するのにも役立ちます。
典型的なエンガディンハウスには、同じ屋根の下に住居、家畜小屋、納屋が一緒に入っています。家畜小屋は地下に配置。干し草を積んだ馬車を地上階から後ろ向きに入れ、奥で落として地下にいる家畜に与えます。
多くのエンガディンハウスは、領主の館にならったもの。17~19世紀に外国の傭兵、商人や職人として外国で一旗あげて帰国した人々が故郷に立てたのがその起源になります。エンガディンハウスを見るためには、有名なサンモリッツ以外にも、シルス、ツオーツ、ツェルネッツ、グアルダなどエンガディン地方の小さな村を訪れるのも良いでしょう。
スイス南部~石造りの家
アルプスの南側、陽光豊かなティチーノ地方では、石造りの家屋が目につきます。典型的な木造り、シャレー様式の家はほとんど目にしません。ティチーノ地方では、シラカバ、ブナ、クリなど広葉樹が多く、建築に適した真っ直ぐな樹木はあまり手に入りません。そのため、身近な材料の石材が利用されます。特に近年人気が高まっているヴェルザスカ谷やマッジャ谷には、石造りの家々が肩を寄せ合うように小さな村や集落を形作っています。
例えばヴェルザスカ谷の村、コリッポ。約40世帯の小さな村で、どの家からも谷が眺められるように配置されています。家の各部屋は直接外部から出入りが可能で、一軒の家を複数の家族が共用できるようになっています。反対に家族が多い場合は、数棟の家を利用することも。村全体がひとつの大きな家になっているかのようです。
エンガディン地方からマローヤ峠を下りた山腹にある村、ソーリオも石造りが印象的。画家、セガンティーニが夏の間、家族とともに過ごした村として有名です。昔この周囲には針葉樹林があったのですが、切りつくされてしまったため、石材が利用されるようになりました。石の家屋で見事に統一された村が、訪れる人々の目を楽しませてくれます。
バレンベルグ野外博物館
スイス中央部、木彫りとSLで有名なブリエンツ村の郊外に、スイス各地の民家や農家を移設した野外博物館があります。その名はバレンベルグ野外博物館。ここでは地方ごとで異なる建築スタイルを見ることができます。その数はなんと約100軒。森に囲まれた広大な敷地を歩きながら、見て回ることができるようになっています。昔ながらのパン焼きやチーズづくりの実演も見学可能です。天候に恵まれない日でも、ここなら存分に楽しむことができます。園内には250種類の家禽が飼育され、レストランや売店も完備。一日いても飽きることはないでしょう。
バレンベルグ野外博物館
Ballenberg Open-Air Museum
Museumsstrasse 131
3858 Hofstetten
Tel. +41 (0)33 952 10 30
開館:4月中旬~10月末の毎日