復帰の舞台は”4部リーグ”

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中山が所属することになったのは、日本フットボールリーグ(以下JFL)のアスルクラロ沼津である。「JFL」とはJ1、J2、J3の下に位置するカテゴリーで、分かりやすく表現すれば「4部リーグ」となるだろう。

2015年のJFLは16チームで争われている。チームの性格は様々で、Jリーグ入りを目ざすクラブ、企業チーム、地域のアマチュアクラブなどが混在している。プロ契約をしている選手はごく少数で、ほとんどの選手は仕事をしながらチームの一員として活動している。アスルクラロ沼津の選手たちも、ほぼ全員が仕事とサッカーを両立させている。アマチュアサッカーの頂点を決めるリーグというのが、JFLの位置づけだ。

JFLから一つ上のカテゴリーのJ3へ昇格するには、いくつかの条件がある。

まずは、Jリーグの理念や活動方針に則ったクラブとして、『Jリーグ100年構想クラブ』に認定される必要がある。同時に、将来的なJ2リーグへのステップアップなどを見据えて、経営基盤の強化や地域密着・地域貢献の素地を固めていくことも求められる。


新天地はJ3昇格の正念場に

競技成績としては、JFLで上位4チームに入らなければならない。ただし、JFLからJ3へ昇格できるのは2チームなので、『Jリーグ100年構想クラブ』が1位から3位までを占めた場合、1位と2位のみが昇格となる。

アスルクラロ沼津は『Jリーグ100年クラブ構想』の認定を受けているが、現在のリーグ戦の順位は5位だ(9月13日のセカンドステージ第8節終了時)。残り7試合で4位以内に食い込むことが、J3昇格への絶対条件となる。


カムバックの成功例はあるが…

中山のカムバックに触れるまえに、現役に復帰した選手の例をいくつかあげておきたい。

身近なところではジーコがいる。ブラジルの英雄としてワールドカップでも活躍した彼は、1989年に母国ブラジルで現役から退いた。当時36歳だった。

しかし2年後の1991年、Jリーグ開幕を控えてプロ化を進める住友金属からのオファーを受け、38歳で現役に復帰する。鹿島アントラーズへチーム名を変えたクラブにプロ意識を注入し、40歳で迎えた93年5月のJリーグでは開幕戦でハットトリックを達成した。加齢によるケガなどで出場機会は限られたが、それでも全盛時を彷彿とさせる輝きを放った。

日本人選手では、元日本代表フォワードの久保竜彦が現役に復帰している。2011年に一度は引退したものの、13年に広島県社会人リーグの廿日市FCの一員となった。39歳となった現在も、トップチームの一員に名を連ねている。

ワールドカップを舞台としたカムバックの成功例では、カメルーン代表のロジェ・ミラがあげられる。

競技の第一線から一度は退き、アマチュアチームでサッカーを楽しんでいたミラは、自ら代表チームの合宿地に乗り込んで練習に加えてもらいたいと打診した。かつての代表選手ということで受け入れは拒まれなかったものの、すでに「終わった選手」との周囲の評価は簡単に覆らない。彼の熱意を知ったスポーツ担当大臣が後ろ盾となり、なかば無理やりに代表チームへ復帰することとなった。

だが、38歳の誕生日を迎えた直後の1990年イタリア・ワールドカップで、ミラはスーパーサブとして4ゴールを叩き出す。チームもアフリカ勢初のベスト8進出を果たし、彼は躍進の象徴として讃えられた。

4年後の1994年アメリカ・ワールドカップでも、ミラは代表の一員に名を連ねた。このときも第一線からはかけ離れていたが、途中出場からゴールを決めている。42歳1か月での得点は、ワールドカップの史上最年長得点として現在も記録に残っている。


「ピッチに立つ」ことが何よりの目標だ

さて、中山である。

9月23日に48歳となる彼の現役復帰を、ジーコやミラと同列で語ることはできない。全盛時のプレーを中山に期待するのは、年齢的に無理というものだ。

現役生活を続けているカズこと三浦知良(48歳・横浜FC)でさえ、このところケガによる戦線離脱が目につくようになってきた。身体のケアに誰よりも時間と労力を注ぐカズでさえも、シーズンを通してコンディションを保つのは難しくなっている。

中山自身、両ヒザのケガによってスパイクを脱ぐことを迫られた。

だが、2012年12月の会見で、彼は「引退」という言葉を一度も使っていない。コンサドーレ札幌でキャリアを閉じた当時、中山は「第一線を退く」という表現を使い、「未練タラタラです。これでリハビリを終えるつもりもないですし、またバリバリになったらカムバックするかもしれません」と話していた。

実際に彼は、数人のトレーナーとともにリハビリを続けてきた。ケガからの復帰を目ざす現役選手のように、両ヒザと向き合ってきた。

アスルクラロ沼津への入団でクラブ側と合意したのは、両ヒザがサッカーの動きに耐え得るレベルにまで回復してきたからだろう。とはいえ、ジムでのリハビリとグラウンドでの練習では、身体にかかる負荷がまったく異なる。入団が決まったとしても、すぐに過度の期待は寄せるのは現実的でない。J1リーグほどではないにせよ、ハイテンポなサッカーにどこまで身体がついていけるのか、という問題も横たわる。

現実的な目標としては、とにかく「ピッチに立つ」ことだろう。

中山はストライカーであり、5分あれば結果を残せるポジションだ。一瞬にすべてを爆発させることで、チームの力になることはできる。2年以上のブランクを経て復帰した裏側には、サッカーへの尽きることのない情熱がある。それもまた、彼の新しい冒険を支えていくに違いない。

何よりも、夢のあるカムバックだ。希望に満ちている。スポーツの力を示してくれるのでは、との期待が膨らむ。

背番号39を着けた中山は、いつ、どこで、どのようにして現役復帰の瞬間を迎えるのか。シーズン終盤へ突入していくJFLに、はからずも大きな注目点が加わった。


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