山の辺の道って、どんな道?
悠久の歴史を持つ奈良には、日本最古とされるものがいくつもありますが、記録に残る中で、日本最古の街道とされる山の辺の道(やまのべのみち)もまた奈良県にあります。古代の大和(奈良)盆地は、湖または大湿地帯だったのではないかといわれていますが、その湖の東の縁(へり)に沿って整備された古代の街道こそが、山の辺の道の起源のようです。
今回は古代の旅人になった気分で、山の辺の道を歩いてみましょう。古代から続く神社、野辺の石仏、田んぼのあぜ道…。その長閑(のどか)で素朴な風景に、きっと癒やされるはずです。
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■山の辺の道イラストマップ(天理市ホームページ)
http://kanko-tenri.jp/hiking_course/yamanobe_minami_widemap.html
仏教伝来之地と最古の市場跡
「山の辺の道を歩く」という場合、ふつうは「東海自然歩道」として整備され、ウォーキングコースとして人気の高い桜井駅から天理駅までの約15kmの道を指します。コースに並行して、JR桜井線が走っているので、途中で疲れてしまっても安心です。今回はJR桜井線と近鉄大阪線が乗り入れる桜井駅から北に向かって歩いて行きます。
桜井駅北口を出て、市街地を抜けて歩いて行くと、途中、大和川沿いに「仏教伝来之地」と刻まれた石碑が立っています。
ここは昔、大阪湾(難波津)からの船着き場があった場所で、日本に仏教を最初に伝えた朝鮮半島の百済(くだら)の使節も大和川を遡ってこの地に上陸し、飛鳥の都を目指しました。
石碑の場所から県道を渡って北へ少し行くと、『万葉集』にも詠まれている日本最古の市場の跡「海柘榴市(つばいち)観音堂」があります。
この辺りは、飛鳥方面への道の入口であり、交通の要衝として栄えた場所。春と秋には男女が恋歌を交わし、契り(婚約)を結ぶ「歌垣(うたがき)」が催された場所としても有名です。
さて、ふたたび道を北に向かいます。ほどなく、道端のお堂の中に二体の石仏がまつられている「金屋の石仏」があります。そのすぐそばの『喜多美術館』は、ルノワ-ル、ゴッホ、ピカソをはじめ、内外のコレクションが充実しており、美術好きなら見逃せませんね。
その少し先にある平等寺は、大神(おおみわ)神社の神宮寺として栄えた寺ですが、明治の廃仏毀釈によって廃寺になりました。後に再興され、現在の本堂は昭和62年に再建されたものです。
次のページでは、山の辺の道の大きな見所である大神神社へ。