大きな意義を持つ、プロ野球経験者として初めての始球式
王さんのストレートは、宣言通りの「剛速球」ではなかったが、間違いなくストライクだった。ストライクゾーンに構えていた捕手が動くことなく、外角低めのスポットに吸い込まれた。ネット裏で見ていた今大会の“主役”の1人で、早実の後輩である清宮幸太郎内野手は「あれは打てません!」と真顔で言った1球。3万5000人の観衆はもちろん、テレビの前のファンに対し、王さんはただの1球ではない重みを十二分に思い知らせてくれた。
「100年ということで、ご指名をいただいた。自分たちのときのことを思い出しました。いいところ放らないといかんな、と思いながら投げました。恥をかかなくて良かったな、というのが本音ですが、選手たちの勢いを感じ、選手たちのために投げました」
58年ぶりのマウンド。1球のために、朝には「お風呂に入って身を清め」、ブルペンで6球もウォーミングアップをした。王さんらしい真面目さが結実したプロ野球経験者として初めての始球式は、大きな意義を持つ。
世界の王貞治、その原点は甲子園のマウンドにあった
1961年に社会人との協定に反してプロと契約した「柳川事件」以降、50年以上もプロとアマとの断絶が続いていた。現在ではようやく元プロ選手の学生野球資格回復制度ができ、2020東京五輪での正式競技復帰へ足並みを揃えるまでになった。王さんの名言の中でNO・1は、次のものだろう。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない」
プロに入って3年が過ぎ、“打者・王貞治”は大きな壁にぶつかった。このままではプロとしてやっていけない。巨人の新打撃コーチとなった荒川博氏と二人三脚で、藁をもすがる気持ちで「一本足打法」に取り組んだ。
朝、昼、晩、試合前、試合後とバットを振って、振って、振りまくった。日本刀も振った。素振りを繰り返した合宿所の畳は、ボロボロになり、王さんの足の裏から滲み出てくる血でドス黒くなった。そうまでした努力の結果が、世界一である868本もの本塁打で報われた。
この原点が実は、甲子園のマウンドにあった。押しも押されぬエースに成長した早実2年生のセンバツ、初戦から準決勝までの3試合を完封勝ちで飾ったが、大会前の2週間を試験のため練習できなかったことがたたり、左手の人差し指と中指に血マメができ、それがつぶれての中での力投だった。
決勝の高知商戦も血染めのボールを投げ続け、八回に初失点を許したものの、何とか投げ抜き、初優勝を飾った。「痛くて、痛くて仕方なかった。つぶれたマメが固まらず、そっと触ってもビリッときた。火事場のバカ力だったのか、気持ち一つで不可能も可能になることをこのときに初めて知った」と王さんは振り返る。
甲子園のマウンドで、血マメと闘い、血染めのボールを投げ続けたあの4試合に比べれば、「一本足打法」を身に付ける苦しみや、1979年に一塁上の交錯プレーで肋骨にひびが入った痛み(8試合欠場)は大したことではなかった。言い換えれば、あの4試合があったからこそ、「一本足打法」を身に付けることができ、868本もの本塁打を放つことができたのだ。
だからこそ、王さんは感謝の気持ちを胸に58年ぶりの甲子園のマウンドに立った。
「高校野球は特別。野球の原点。勝った負けたという世界ではありませんから。思い出をつくる場所。人生のワンステップ。堂々と胸を張って戦ってほしい。150回、200回とみなさんにつないでいってほしい気持ちが、ここに来て強くなりました」
甲子園は、野球の原点であり、人生の原点でもある。王さんは、あのときのままのノーワインドアップ投法から繰り出したたった1球で、そのことを我々に教えてくれた。