「男女」って何?と悩む人にお勧め
ロマンポルノは名作揃いである。そんな中でも、恋愛感情を忘れてしまった、熱く相手を思う気持ちを置き去りにしてきてしまった。あるいは、今、恋愛で悩んでいる。そんなすべての人たちにお勧めしたいのが、私が偏愛する『赫い髪の女』(神代辰巳監督・宮下順子、石橋蓮司)だ。
中上健次原作『赫髪』の映画化である。ダンプカーの運転手である石橋演じる男が、雨の中、宮下演じる女を拾う。女は彼のアパートに住み着く。お互いに、過去も名前も知らないまま、狭い部屋でひたすら相手を求め合う。
女には何か相当なトラウマがありそうだが、それも結局はわからない。女なんて遊び道具のひとつとしか考えていなかった男の中に、「相手を思う気持ち」「愛」が芽生えていく。
人には、たくさんの要素がある。どこで生まれ、どうやって育ち、どんな教育を受けたのか。親はどういう人で、自分はどこでどんな仕事をしてきて、どんな恋愛を経てきたのか。
だが、この映画では、女の素性はいっさいわからない。それでも、男は生まれて初めて、嫉妬の感情を知り、そこから女への愛を自覚する。女性を描いたら天下一品の神代監督が、赫い髪のわけのわからない女に、底なし沼のような魅力を与えている。
男女の本質は、ここにあるのだと思う。相手の肩書きや年齢や過去などどうでもいい。自分の心の命じるままに、相手を求めるしかないのだ。恋愛などというきれいごとではなく、お互いを求めるしかない関係。最初は、何かに惹かれあったのか、あるいは他にいないからその相手に向かったのか、それさえもわからない。ただ、ひたすら「まぐわって」いるうちに、かけがえのない相手になっていく。
この映画を観るたびに思う。男と女の結びつきは理屈ではないのだ、と。動物的な感覚だけで突き進むことができれば、そのほうが幸せなのではないか、と。条件や理屈をつければつけるほど、男女の関係は薄まっていくような気がしてならない。
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