日光例幣使街道から巴波川を歩く
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)という石碑が建っていた。ここから先に蔵がたくさんあると観光総合案内所で聞いていた。ちょっと聞き慣れないこの「日光例幣使」とはどういうことだろう。徳川家康は死後、「東照大権現」という神号を朝廷より下賜された。家康は神になり、日光に祀られた。その日光へ、朝廷から家康の命日に使者が向かった。その街道ということになる。それで宿場町として栄えたのが栃木宿だ。そして案内板があった。かつての栃木宿の北側の位置する嘉右衛門町は、例幣使街道に沿って発展した町で、伝統的建造物群保存地区になっている。まるで、町並みそのものが博物館といった地域だ。
蔵というより個性的で古い建築物が並んでいる。大きな特徴は今も使われているものが多いということ。
有料で閲覧できる代官屋敷があった。岡田記念館だ。天正年間(1573~1592)に岡田嘉右衛門がこのあたりの荒れ地を開墾して開拓したのが初代で、現在は26代目の当主が管理している。町の名前も初代から命名されたとのこと。今回は入らなかったが、機会があればぜひ中を見てみたい。その先に「油屋伝兵衛」という暖簾のかかった建物があった。
あとから聞いたところによると、ここでは味噌田楽がいただけるそうで、これがなかなか美味しいのだそうだ。次回はぜひ。ひと通り例幣使街道を見たところで、道を戻り、嘉右衛門橋をさがす。観光総合案内所で教えてもらったルートを行こうと思うからだ。
観光案内所で、「河岸の跡があるんですよ」と係の人がおっしゃるので、身を乗り出した。「この橋を渡ると、川のそばに細い道があるので、行ってみてください」とイラストマップにマジックで書いてくれた場所だ。
河岸の跡が見えてきた。歴史の痕跡が生々しく残っている。今回の散歩でいちばんテンションがあがった場所だ。かつて、物流の主役は水運だった時代があった。その発着場である河岸がこうして残っているのは珍しい。
立て看板があるけれど、対岸で文字か小さくてその場では読めないのが残念。デジカメのズームで撮影し、家に帰り、パソコンの画面で見た。
イラストマップには載っていない場所だけれど、ここはおすすめだ。しばし、たたずみかつての様子を想像してみる。ここから荷を陸揚げして、蔵に入れていたのだね。川と蔵は深い関係があるのだ。
次ページでは、夕顔ラーメンをいただき、銭湯に入ります。