恋愛ごっこになってない? その心理や特徴
“恋愛ごっこ”をしていない?
寂しいから傍にいてくれる人を望み、相手の恋心を利用する人もいます。
そこに相手への愛情はあるのでしょうか?
単に付き合っているからといって、「恋愛している」とは言えません。それは“恋愛ごっこ”です。
もちろん相手から告白をされて付き合った場合などは、初めは愛情がないこともありますが、「相手を知ろう」「相手を理解しよう」「相手とうまくやっていく関係を築こう」と思えるのであれば、その思いの中に愛は入っています。
でも、単に自分が1人では不足している部分(寂しさ、自己肯定感など)を相手によって補おうとするだけなら、愛しているのは自分だけです。
本当の愛は求めるものではなく、与えるもの。相手に「与えたい」と思わなければ、そこに愛情はありません。
現実的に、お互いに心も体も許し合えるような、深くて濃い恋愛をすることは、容易いことではありません。でも、どうせ恋愛をするなら、そんな関係を目指したいものですよね。
“恋愛ごっこ”のケースとしては、「恋愛に保険をかける」こともそうだと言えるでしょう。
恋愛においてリスク回避していない?
恋愛のリスク回避ばかりしていない?
例えば、年上の既婚者と付き合っている独身女性が、リスク回避のために年下の独身男性と付き合っている、なんていう話もたまに聞きます。
そうしたら、その年下の彼氏のリスクはどうでしょうか?
そんな二股をかけるような彼女とつき合っている方が、かなりリスキーですよね。
では、今度はその男性がリスクを避けるために、他の女性とも付き合ったとします。そうすると、さらにその彼女のリスク回避はどうでしょう?彼女も他の男性とも付き合っちゃいます?
だったら一層のこと、人類みんなで彼氏&彼女になっちゃいます?(苦笑)。
自分のリスク回避のためなら他人を平気で利用できるというのは、ハッキリ言って、自己中心的すぎます。相手への思いやりが感じられません。
中には、「恋愛というのは、自分勝手で衝動的なものだ」なんて思っている人もいます。ただ、そこに本当の「愛」がなければ、恋愛でも何でもありません。“恋愛ごっこ”です!
視野が狭いと自分のことしか見られなくなってしまうし、心が弱いと自分を守ることばかりに躍起になってしまいます。
そんなことでは、幸せにはなれません。自分で自分の首を絞めていることに気付いた方がいいでしょう。
自分だけの幸せなんて、たかがしれています。相手を幸せにすることで、さらなる幸せを得ることができるのです。そこに恋愛の醍醐味があるのです。
リスク回避ばかりしている関係に、本当の愛なんてない!
そこに気付く必要はあるでしょうね。
例えば、あなたは「愛した方が負け」なんて思っていませんか?それは、大きな誤解です。
恋愛ごっこの中に本当の愛はある?
愛の出し惜しみをしないで、思いっきり愛そう!
本当にそうでしょうか?
そんな風に考えている人は、愛を有限なものだと考えているのかもしれません。
でも、愛は無限です。自分の内側から増やしていくものだからです。
愛という“最高に高度な思い”を心に増やしていくと、人は幸せを感じられます。
つまり、愛の出し惜しみをしている人は、自ら自分を幸せにしていないとも言えるのです。
ただ、本当の意味で、愛を理解している人は意外と少ないものです。自分のことすら、きちんと愛しきれていない人も多いですしね。
人を愛するためには、まずは「自分を愛する」ことが大切です。自分を愛せない人は、人を愛せるだけの愛情が、自分の内側にないからです。
さらに自分を愛せていない人は、愛を誤解しがちです。
例えば、人を愛するとき、自己犠牲をして相手に尽くそうとしてしまう人もいます。それでは相手を、ある意味“加害者”にしてしまいます。
そうすると相手の負担になることもあるし、本当の意味で相手を愛していることにはなりません。
中には、“肉体関係はあるのに恋人扱いしてくれない男性”に振り回されている女性もいます。
愛するというのは、単に相手を「甘やかせる」ことではありません。それは相手のためにもならない(=本当の意味で相手を愛していない)ですよね?
本当に自分を愛し、人を愛している人は、自己犠牲をしない方法で、相手と楽しいひと時を過ごそうとしますよ?
そんな不毛な行為をしてしまう人は、自分自身をきちんと幸せにできているのでしょうか?愛せているのでしょうか?
自分の心の弱さを見て見ぬふりをしているようでは、自分を愛せていませんよ?
愛のために、相手を手放せる?
愛のために、相手を手放せる?
もし“自分を愛し、相手を愛せる人”が、そんな残念な人を好きになってしまったときは、どんな行動をするでしょうか?
まずは、「自分がいることで、相手をズルい人間にしてしまうようなこと」は避けます。
例えば、わがままは“わがままを聞いてくれる人”がいるから言えるわけでもあるのです。
“自分を愛し、相手を愛せる人”は、自分がいると相手がダメな人になるのであれば、いくら愛情があったとしても、相手から離れます。愛のために、相手を手放すことができるのです。
こんなことを書くと、「愛しているのに、恋人から離れるなんてできない!」と思う人もいるでしょう。
でも「相手が自分のものでなければ、意味がない」という相手への執着心や所有欲は、自己愛でもあるのです。
愛について誤った解釈をしている例として、このようなものもあります。
世の中には、「愛する人が愛される」という法則があります。
この法則を元に人を愛そうとする人もいます。ただ、そういう人は心の奥底で「相手を自分のものにしたい(=自己愛)」と願っています。
実はその時点で、本当の愛が100%あるわけではないのです。だからこの法則通りに進まないこともあるでしょう。
もちろんだからといって、相手と恋人になることを望んではいけないと言っているわけではありません。
そうではなく、相手が自分のパートナーにならなくても愛せるくらいに、ただただ相手の存在を愛することが、「本当の愛に近い」ということなのです。
自分にとってメリットがあるか、ないかだけで相手への愛情が変わるのであれば、そこに本当の愛情はありません。本当の意味で愛するとは、ただただ相手の幸せを願うことなのです。
最後に、「本当の意味で自分を愛することとは?」について、紹介します。
本当の愛を持つことは、自分への愛情
自分を愛し、人を愛せる人に!
結局、本当の愛を抱くためには、精神的に自立しないと難しいんですよね。
自分の不安でさえも、自分できちんと受け止められる強さも必要です。
ただ、精神的に自立をすることは、“自分への愛情”でもあります。
本当の愛を抱ける人になることを目指すのも、自分を愛する故の行為。つまり、これが本当の意味で「自分を愛する」ということでもあるのです。
「そんなの辛すぎる!」と思う人は、まだまだ本当の愛を抱けていない証拠。本当の愛を抱けている人だけが感じられる“心に愛を増やす喜び”があるのです。それこそが、“本当の幸せ”なのです。
自分にも相手にも本当の愛を持つことは、簡単なことではありません。でも、自分の意思で1歩1歩近づくことはできます。
自分を愛し、相手を愛し、本当の恋愛ができることを目指したいものですね。
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