何が「普通」かは誰にも判断できない
昔から、偉大な芸術家は両性愛者だったと言われている。真偽のほどは定かではないが、あのミケランジェロにもそうした傾向は見られるという。メキシコの女性画家フリーダ・カーロや、フランスの女性画家マリー・ローランサンなども両性愛者だ。恋愛に決まりはない
「普通」とされる異性愛者の中には、性的嗜好が変わった人はたくさんいる。自分で自分を縛り上げて興奮する男性、お尻にバイブを入れないと射精できない男性、愛する男性にセックスの最中、ぶたれないとイケない女性……。恋愛対象が誰であるかより、他人の性的嗜好を覗いたほうがよっぽど「不思議」なことが多い。
どんな恋愛も、どんな性的嗜好も、他人を傷つけるものでない限り、その自由と権利は尊重されるべきだと思う。異性と結婚することだけが、「普通」とされる社会は許容度が小さすぎる。選択肢の多い社会、自由度の大きな社会こそが、生きやすい世の中なのではないだろうか。
渋谷区の取り組みが日本中に広がり、同性婚が広く認知されるようになればいい。
ただ、50年以上前から議論されている選択的夫婦別姓すら、「別姓になると家族としての絆が弱まる」などというくだらない理由で実現されていないことを考えると、日本の家族観は、いつまでたっても変わらないのかもしれないと暗澹たる気持ちになることもある。
人の自由と権利に関することは、決して時代が後退しないように見つめていかなければならないと感じている。