新聞やネットの記事を読んだだけで、本人たちを知っているわけではないから、真実はわからない。だがこの2つの事件、前者は非常に現代的であり、後者は古典的である。
幸せな時間が終わるとき
一方で、中央区の28歳の女性は、相手からの別れ話に激昂した。この女性が性同一性障害で、それによるホルモンバランスの乱れから精神的にも不安定だったと言われているが、それは置いておくとして、彼女が「別れるくらいなら殺してしまおうと思った」と供述したことが印象に残る。殺人はこの世で最も重い罪だ。そこに同情の余地はない。だがそれでも、「別れるくらいなら殺してしまおう」という気持ちは、わからなくはない。女性の心の奥底に、そんな思いが宿る瞬間がある。
愛と独占欲と嫉妬
この事件ですぐに思い出したのは、「阿部定事件」である。昭和11年、二・二六事件が起こった数ヶ月後、阿部定という当時30歳の女性が、妻子持ちで勤め先の料理屋の旦那である石田を殺し、男性器を切り落として持ち歩いていたのだ。「猟奇事件」として有名だが、事件調書を読むと、彼女がどれほど石田を愛していたかがわかる。定と石田との関係は、石田も妻も知るところとなったため、ふたりは待合を転々とする。その間、一度だけ石田が自宅に戻ったことがあるのだが、その数日間、定は「今ごろ、彼が奥さんに触れているかと思うと、いてもたってもいられないほど」不安で寂しかったと語っている。だから、他人のものになるよりは、殺して自分のものにしておきたかったのだろう。実際、彼女は、「彼を殺せば、他のどんな女性も二度と決して彼に触ることができないと思い、彼を殺した」と話した。そして、彼と一緒にいるために、男性器を切り取ったのである。
恋愛は、どうがんばってもうまくいかないことがある。縁がなかったとドライに考えられれば、こうした事件は起こらない。どうしても自分のものにしておきたい、離れたくないとエゴと独占欲が働くから、相手の命を奪うことになる。自分の人生も棒にふる。それでもなお、「一緒にいたかった」という定の気持ちに個人的には心震えることがある。それほど好きな人に出会えたのは、幸福でもあっただろうと思うから。
もちろん、客観的に考えれば、それは「正しい愛情」ではないのだろうこともわかってはいる。
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