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京都・北エリアの穴場「寂光院」で歴史を感じるプチ旅

京都・北エリアの山中にひっそりとたたずむ尼寺・寂光院。アクセスがあまり良くないこともあってか、ハイシーズンでも人混みでうんざりすることがない静寂に包まれた場所です。近くには2つの温泉があり、実はかなりの穴場。おひとりさまも多いひそかな人気スポットを訪ねてみました。

葉石 かおり

執筆者:葉石 かおり

京都ガイド

京都大原にひっそりたたずむ尼寺「寂光院」へ

石段

趣ある石段に歴史を感じる。


京都大原の山間にある小さな尼寺「寂光院(じゃっこういん)」は、鳥のさえずりと葉ずれの音が響く静寂な場所にあります。聖徳太子が創建され、第3代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)が短い余生を送った寺として知られ、四季を通じて観光客が絶えません。

創建は594年と伝えられていますが、残念なことに2000年に心ない人による放火で本堂は全焼。鎌倉時代に作られた旧本尊もかなり焼損してしまい、修繕した後、収蔵庫に安置されています。現在の御本尊(2005年製造)は国宝修理所の小野寺久幸仏師によって、元通りに復元され、色彩も当時のままだそう。諸願成就の御利益があるとされ、参拝に訪れた人は御本尊からつながる紐を握り、願いを唱えます。

本堂

木柿葺の本堂には六万体地蔵尊が安置される。


御本尊はもちろん、本堂も徹底的に調査し、5年の歳月をかけて元の姿によみがえりました。ヒノキの香りが漂う新しい本堂は、歴史こそ新しいものの、かつての職人と同じ技が垣間見ることができます。

この小さな尼寺で余生を送った建礼門院は、いわば『平家物語』の悲劇のヒロイン。大河ドラマなどで御存知の方も多いと思います。平家は壇ノ浦の戦いによって敗れ、建礼門院は息子連れで入水自殺を図るものの、自分だけが生き残ってしまい、京都へと送還されます。その後、出家し、文治元(1185)年9月に入寺。真如覚比丘尼と称し、終生を寂光院で送りました。翌年、後白河法皇がしのんで建礼門院を訪ね、歌を交わしたと伝えられています。

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