作品を表面的ではなく、作品の持つ個性や、訴える力、
もしくはつくり手の思想を感じ取ってほしい
藤田まず大舩さんは、どういうふうに、どんな作品をつくっているのか教えてください。
大舩
私の作品は、パネルに張り込んだ和紙に、岩絵具という日本画で使う鉱物の顔料で描いています。手法としては日本画の技法と違いはないですが、作風としては、例えば「花鳥風月」と呼ばれる日本の様式を受け継いだものでもありません。
藤田
「花鳥風月」というのは、文字通り花や鳥、日本の四季や風景のことで、日本画の多くはそういう表現が見受けられます。紙や絵具などの画材は日本画のものをつかっても、「花鳥風月」を描かないなら、日本画とは呼ばれないのでしょうか。
大舩
多くの人がイメージするジャンルとしての「日本画」ではない、ということです。私自身は「絵画」もしくは「平面作品」という言葉でくくられることにも、少し違和感をおぼえる時があります。なぜなら「絵画」もしくは「平面作品」は、壁に平坦に掛けられ、美術館やギャラリーの順路にしたがって一定の距離で見るという常識がついてくるからです。
藤田
でも「絵画」もしくは「平面作品」はそうやって展示するもの、見るもの、なのでは?
大舩
私は違います。よく、壁から随分離れた位置に、もしくは展示空間のど真ん中などに、作品を吊るして展示をします。もっと極端な例で言うと、屋外に作品を置いて見せることもあります。岩絵具は、宝石につかうような色のある原石を砕いてつくられていて、作品は地球の欠片が詰まった存在とも言えます。だから作品が置かれた場と共鳴したり、作品単体だけでなく、ひとつの空間として感じることができます。さらに展示空間にとどまらず、作品の内部にも、外にもどんどんつながっていくような関係が産まれてきます。このように作品を超える領域にまで意識を巡らせて作品の展示を行っていると、絵画や平面作品ではなく、しばしば「インスタレーション」と呼ばれることもあります。
藤田
なるほど。作品についてだけでなく、大舩さんがこれまでの日本画と呼ばれるものと異なるのは、動きというか活動も今までの作家(アーティスト)と違うからでしょう。大舩さんは先輩の画家に弟子入りしてないし、「画壇」と呼ばれる日本画の組織に所属していません。
大舩
「画壇」の中に入らないのは、自分の信じる道を切り開きたいからです。それぞれの組織の中には、共有の常識やルール、価値観のようなものが存在します。組織の価値観に合った作品がその中で評価されていきますし、組織が今の時代に開かれた広い視野を持っているときと、そうでないときもあるでしょう。私はそういった組織と、私自身が抱く新たな価値観とは合わなくなってきている、と感じています。
藤田
確かに、美術館やギャラリーで展覧会するだけだった20年くらい前に比べれば、今やアートイベントもあればアートフェアもある、日本だけでなく海外でも、といったように、作品を発表する場も増えています。
大舩
美術に限りませんが、情報化や国際化が進み、個人が自由に世界の情報を吸収することも当たり前になってきています。そういった環境の中で、個人の思想や価値観がダイレクトに世の中に発信されていく状況も増えています。
美術に関して言うと、「日本画だからどうの」と言ったジャンルで展覧会が開かれることは少なくなりつつあります。「現代における問題意識」のような内容やテーマが決まったキュレーションによる展覧会、もしくは展示する場との関係性を求められる展示方法が、作家には求められています。こういったときに作家にとって必要なことは「作品が見る人の感性にどのように響くか」という、極めて純粋な価値基準ではないでしょうか。
藤田
話を聞いていると、作品や美術を通じて、大舩さんは何か現代社会や現代人に訴えかけたいのですね。
大舩
私だけでなく、鑑賞者であっても、常識にとらわれず、感覚を研ぎ澄まして作品に接することが、今を生きる美術と向き合うべき姿勢なのでは、と考えます。作品を表面的ではなく、作品の持つ個性や、訴える力、もしくはつくり手の思想を感じ取ってください。そうすることで、作品はジャンルの垣根や国も超えて、広く人の心に伝わっていくでしょうし、現代美術を難しいとは感じなくなるはずです。
■大舩真言 展覧会情報
「Object Matters:概念と素材をめぐる日本の現代表現」
2014年12月20日(土)~2015年2月15日(日)
多治見市文化工房 ギャラリーヴォイス
岐阜県多治見市本町5-9-1たじみ創造館3F
水曜日休廊
パリ日本文化会館フライヤー
うつろいゆく形の生命とその刻印
2015年1月20日(火)~24日(土)
パリ日本文化会館 地上階
10 1 bis, quai Branly 7501 5 Paris, France