桃園川の源流のひとつは荻窪にあった
中央線の中野駅から荻窪駅までの間に住んでいる人なら一度は歩いたことがあるかもしれない桃園川跡の遊歩道や緑道。僕も上京して最初に住んだのは荻窪で、桃園川跡の遊歩道をよく歩いた。その後、高円寺、中野などにも住み、やはり桃園川緑道を歩いた。しかし、それぞれ断片だけだったので、今回、桃園川あとをずっと歩いてみることにした。桃園川に限らず、東京にあった川の多くが暗渠(あんきょ)化されたのは、その役割が変わってきたからだ。昔は、田園へ水を供給するための川だったのが、いつしか田園は宅地にかわり、川は下水にかわっていった。そのため、川はドブ川となりフタをされることになったのだ。この桃園川も同じ経緯で暗渠化された。その桃園川の水源のひとつはかつてここにあった天沼弁天社内にあった弁天池だった。
かつてここにあった池は昭和の半ば頃、埋め立てられ、宅地となった。その後、杉並区が買い取り、2007年に公園として整備したのだ。今ある池は復刻されたもので湧き水ではない。
ところで、桃園川はこの場所からどう流れていたのだろうか。公園内に郷土博物館分館があったので、そこで訊ねてみた。職員の方も詳しくはわからないとおっしゃりながら、いただいたのはこちらの地図。
開くと大きな地図になっている「杉並区史跡散歩地図」というのをいただいた。ネットでも公開されているようだ。
杉並区教育委員会 - 散歩地図
これはなかなか便利。しかも、杉並区内の史跡をめぐる散歩コースの提案もあって、使える地図になっている。
桃園川は水量が少なかったために千川上水より分水を受けていた。分水は今の練馬区関町南あたりから青梅街道沿いに流れ、今のりそな銀行とJTBのの間から桃園川に流れ込んでいた。いま、そこは遊歩道になっている。
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