家庭を顧みなかったのは軍事政権時代の話
「日本の男性は育児をしない、家事もしない」というのがあたかも伝統だったかのように語られることがあります。そして、「イクメン」があたかも新人類のようにもてはやされる風潮があります。しかし、日本男児はもともとイクメンだったのです! 今回は、目から鱗のそんなお話しをしたいと思いますが、最初にいきなり脱線することをお許しください。「昔は男が子守するなんて考えられなかった」という台詞を聞くことがときどきあります。ついでに「昔の親はもっと厳しかった」なんてセリフも定番ですね。ところで、その「昔」っていつのことでしょう。大概の場合、昭和の初期や、せいぜい明治後期くらいまでのことを言っているんじゃないかと思います。そのころはたしかにそうだったんじゃないかと思います。
でも、よく考えてみてください。そのころの日本の状況を。戦争に明け暮れていたころですよね。軍事国家だったわけですから、「優秀なソルジャー育成」が教育の目的だったわけです。「優秀なソルジャー」とは、上官の命令には絶対服従で、肉体的・精神的な苦痛や理不尽にも耐えることができるような人のことです。一部のリーダーを除いて、一般的なソルジャーには、自分の意志とか、主体性とかは求められていません。
ソルジャー育成を末端まで徹底するために「親の言うことには絶対服従」「我慢・忍耐・自己犠牲」のような教育法が広まるわけです。そういうことを「美徳」としてすり込むことは、戦時下においては「合理的」なのでしょう。しかし、これからの時代にはマッチしませんよね。
「温故知新」という言葉がありますが、過去の時代から学ぶのであれば、「良い時代」から学びたいですよね。日本が戦争に明け暮れていた時代が良い時代だとは思えません。
良い子育てが行われていれば、良い人物が育ち、良い時代が続くはずです。では、日本の歴史の中で、平和が長く続き、たくさんの文化が花開いた時代といえば……平安時代や江戸時代ですね。江戸時代は軍事政権国家であったわけですが、それは制度上の見え方であり、戦争に明け暮れていたわけではありません。当時の武士はそれこそ役所の役人のような働きをしていたと考えられます。
イクメンは日本男児の原点回帰
そういう時代の子育てがどうだったのか。江戸時代に日本を訪れたヨーロッパの人たちの見聞録が残されています。いくつか資料を引用してみましょう。(江戸時代や明治の初期の日本は)「子どもの楽園」
※オールコックの見聞より
一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭にもみなぎっている。親は子どもの面倒をよく見るが、自由に遊ばせ、ほとんど素裸で路上を駆け回らせる。子どもがどんなにやんちゃでも、叱ったり懲らしたりしている有様をみたことがない。その程度はほとんど「溺愛」に達していて、彼らほど愉快で楽しそうな子どもたちは、他所では見られない。
※安政年間のカッテンディーケの見聞より
もちろん武家の子育ては「ソルジャー育成」が目的ですからちょっと違ったのでしょうけれど、町人文化や農村文化での子育ては大変おおらかだったようなのです。そういうおおらかさの中で高度に文化的な社会が形成されたのでしょう。われわれの間では普通鞭を打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである
※『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス、岡田章雄訳注、岩波文庫、1991年より
そして、そのような資料の中に、男性の育児に関する話しもあります。
私が直接古文書を当たったわけではないのですが、そういう資料を研究されている先生が「江戸時代には町大工などが仕事の帰りに、子どものためにあめ玉やおもちゃを買って帰る習慣があったらしい。男性も子どものことを大変かわいがる文化があった」という話しをしているのも聞いたことがあります。当時の史料や文学作品を読むと、子どもを外に連れ出したり風呂に連れて行ったりして世話を焼いているのは、男親であることが多い。おそらく女親は、家事や赤ん坊の世話で忙しかったのだろう
※『江戸の子育て』中江和恵より
イクメンは新たな潮流ではなく、日本の原点回帰
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